泰成は腕の中で震える惺の髪を撫で、じっと黙って外への扉を睨んでいる。あそこが開かない限り、どうしようもないのが正直なところだ。
「あの…大丈夫ですか?」
先ほどまで泰成に言われ、店主と共に牢の中を見回っていた秀彬だったが、結局見つけられたのは飲んでも大丈夫そうな水くらいだった。とはいえ、牢の中に放置されていたそれを、気安く飲むわけにも行かなくて。
明晰な頭脳を有していても、こんなときには何も出来ないことに唇を噛みながら、泰成は何かに怯える様子の惺を抱き、座り込んでいたのだけど。傍らにしゃがみこんだ秀彬は、惺の頬にひたりと、濡れたハンカチを押し付けている。
「…どうしたんだ、それ?」
不思議そうに聞くと、少年はにこりと笑って店主のいる方を振り返った。
「さっきのお水、飲むのは心配でしたけど…ランプの火を使って、沸騰させてみたんです。ハンカチは持っていたので…」
一度濡らせて絞り、広げたものを風に当てると冷たくなるから。そう語る秀彬は、惺の額を拭いていたものを泰成の手に当てて、首を傾げ微笑んだ。
ふっと肩の力が抜けて、泰成は鉄格子に寄りかかる。
「本当に…お前は役に立つな」
「い、いえあの、僕じゃなくて、あの方が使っていないランプを、鍋のようにして下さったので」
慌てた秀彬は店主を振り返って言うけど、ほんの少しの水をどう使うか、誰のために何が出来るか、考えられる秀彬は泰成などよりよほど、この場で出来ることを見つけられている。
自分が優れているわけじゃないと、首を振る秀彬の頭を、泰成は優しく撫でて笑いかけた。
「卑下するんじゃないよ。お前は十分に役に立っている。…まあ、私の家令になる男だからな」
褒め言葉に少し赤くなる秀彬は、その場にぺたりと座り込んで、心配そうに惺を見上げた。ハンカチを折り直し、冷たいところを見つけて、再び惺の額にあてる。
こういうとき、本当に自分は役に立たないなと、泰成は溜め息をついていた。
確かに物事を攻略し、利益の効率を上げるようなことには向いていると思うが、人を癒すとか、和ませるとか、そういう方法を知らな過ぎる。
惺の言葉が突き刺さっていた。
――お前の持っているものは、力なんかじゃない。
言われたときにわかっていたつもりの、鋭い指摘。今の泰成には、身に染みて理解できる。
弱りきっている様子の惺が、身体を悪くしているわけじゃないのは、抱いている泰成が一番わかっているだろう。その身が銃弾にさえ倒れないことも知っている。
しかし何かに大きな衝撃を受け、立っていられないくらい動揺して、崩れた惺に何をしてやれるのか。泰成にはひとつも思いつかなかった。
苦しげに眉を寄せ、目を閉じている惺の額を拭ってやる、たったそれだけのこと。
思いついた秀彬と、手を貸してくれた店主と。
昨日までの泰成なら、この場で一番優れているのは自分だと、自惚れていたに違いない。
「…己を知らないというのは、恐ろしい罪なんだな…」
「泰成様?」
ぼんやり呟いた泰成は、惺の髪に自分の頬を押し付けた。
祖父に守られ、恵まれた環境に育ち、自分の勝手を通して生きていた。自分の力で何でも出来るのだと、過信していた。
確かに泰成には、逆らう者を踏み潰すだけの力があったけど。振り上げただけの拳を、その重みだけで振り下ろすなんて、子供のやることだ。
自分の手にしている力がどんなものかなんて、考えたこともなかった。
苦笑いを浮かべる泰成の腕の中で、惺が身じろいだ。
「惺…?大丈夫か」
肩を抱いていた腕を緩めると、惺はそのまま泰成の首に腕を回して、綺麗な顔を近づけてくる。
「?…惺?」
「…あっ…」
真っ赤になった秀彬が、がばっと物凄い勢いで下を向いた。
惺が泰成の唇を塞ぐ。唐突なことに対応出来ないでいる泰成の口腔を舐め、そうっと離れた惺は、まだ少し青ざめているものの、柔らかい瞳で泰成を見ていた。
「いい子だ」
「惺…」
繊細な指先が、濡れた唇を拭って。高飛車な言葉とは裏腹に、それは甘えるような仕草で泰成の唇を辿っている。
「なあ、泰成。…僕と違って、お前の時間は限られている」
撃たれた傷さえ残らない。高熱に身体が震えても、すぐに冷めてしまう身体。
「精一杯悩んで、迷うごとに考えなさい。お前は必ず、答えに行き着くから」
ふわっと微笑んだ惺を抱きしめ、泰成は自分から唇を重ねた。甘い舌を絡めとり、吸い上げても、惺はけして抗わない。
「…私ではあなたを、救えないのか?」
思いを込めて囁くけど、惺は哀しげに首を振る。
「お前では、駄目なんだ」
「…ああ…」
「でも、お前ならいいのにと、少しだけ思ったよ」