【この空の下にA】 P:01


 少年はちらりと視線を上げた。
 ここはこの街で一番大きなホテル。最上階にある部屋の主寝室だ。
 いま彼がシャツのボタンを留めてやっている相手は、少年の主人。主人は最近、やけに楽しそうな表情だ。
 主のその様子が気になりながらも、
自分などが理由を聞いていいのかどうかわからず、少年は視線を自分の指先に戻した。

 祖国を離れたとき、主人より四つ年下の彼は、まだ十三歳だった。
 この人が自分の主人になるのは、生まれた時から決まっている、宿命だとわかっていたけど。自分のような幼い者に、まさか洋行の供が命じられるとは思わなかった。

「秀彬(ヒデアキ)」

 名を呼ばれ、少年は弾かれたように顔を上げる。大きな瞳に主人を映して、丸みのある頬をわずかに高潮させた。

「は、はいっ。何でしょう?」
「金魚のような顔をするんじゃないよ」
「…金魚、ですか?」

 問われたことがわからず、首を傾げている少年。そのあどけない様子に肩を竦めたのは、笠原泰成(カサハラタイセイ)である。

「さっきから、ぱくぱくと。言いたいことがあるなら言いなさい」

 もの問いたげに口を開き、諦めて閉じるのを繰り返していたことを揶揄された少年、来栖秀彬(クルスヒデアキ)は、かあっといっそう赤くなってしまう。

「ご、ごめんなさいっ」
「申し訳ありません」
「…申し訳ありません、泰成様」

 言葉遣いをたしなめられ、しゅんとした表情になった。
 あまりに子供っぽい秀彬を見つめ、泰成は自分が十五の頃はこんなだったろうか?と思い出してみる。
 しかし思い出すまでもない。生まれてこの方、泰成がこんなしおらしい顔をしたことなどないのだから。

 秀彬の手で首元までボタンを止められ、泰成は彼がネクタイを取りにいく後姿を見つめていた。
 なんと言うか……この子は全然成長しないな、と。毎日のように思う。

 別に秀彬が気に入らないわけじゃない。気に入らなければ、この街へ来る際に彼を伴ったりしなかっただろう。
 さっきのような言葉遣いだって、あんな風に子供っぽい言い方をするのは咄嗟の時だけ。年齢の割りに秀彬は、よく仕えてくれている。
 なんの頼りもない異国の地だから当然なのだが、我が侭な泰成の元から逃げ出さないのは、立派なものだと思う。彼が彼なりに感じている使命感や、責任感と言うものはわかってやっているのだ。だから成長しないというのは、従者としての彼の仕事ではなくて。