ずっと祖国の言葉で話しているのだから当然なのだが、泰成は秀彬にそう伝えて、エレベーターの前に立ち止まった。係りの男が鉄の格子扉を開いて待っている。
「部屋に戻ったらすぐ、祖国のお茶を差し上げてくれ」
「かしこまりました」
「緑茶はまだあるかい?」
「ございます…あの、お二人で先に…」
狭いエレベーターだ。こんな大きな花束を抱えては、一緒に乗ることが出来ない。
遠慮する秀彬に言われ、それもそうだと惺の肩を抱いて乗ろうとした泰成は、呆れた表情の惺に胸の辺りを押し返された。
「…惺?どうした」
「あのな。考えればわかるだろう?大きな荷物を持っている彼と、手ぶらのお前。どっちが優先なんだ」
「いや、しかしそれは…」
「惺様どうか、私のことは気になさらず」
「僕のことは惺でいいんだよ。ほら、おいで」
秀彬に向かって手招きをしている惺は、ふっと視線を泰成に移し、口元を歪めた。
「泰成」
「え?」
「役に立たん男は嫌われるぞ」
泰成の「役に立たない奴は嫌いだ」という言葉が、よほど気にらなかったんだろう。惺はまた同じ言葉を使って嫌味を言い、秀彬の腕を掴んで先に少年をエレベーターへ乗せてしまう。
困惑したのは秀彬だ。主人より自分を優先させるなんて、あってはならないこと。
おろおろと身の置き場がない秀彬に、泰成は溜め息を吐きながら、ひらひら手を振って見せる。
「いいから先に行きなさい」
「いえ、ですが…あの」
「惺の言う通りにしてなさい。これ以上の立ち往生は御免だ」
「はい…申し訳ありません、泰成様」
深々と頭を下げて恐縮している秀彬の隣で、惺が意地悪く笑っていた。そんな彼のくだけた表情に、置いていかれたにもかかわらず、泰成は幸せで微笑んでしまう。
ちょうど、その時。
彼らの一部始終を見ていた男が一人、ホテルのロビーで立ち上がった。街で一番の高級なホテルには、あまりにも似合わない姿だ。
どんよりと昏い瞳で三人を凝視していた男。彼は黙って泰成の後ろを通りすぎ、高くした襟元で顔を隠しながら、ホテルを出て行った。
≪ツヅク≫