あんな風に手を上げたのは初めてだ。
秀彬を頭ごなしに怒鳴ったのも、初めてのことだった。
それはしかし、当然のことだ。秀彬があんな風に、真っ向から泰成を見据えて物を言ったのは初めてなのだから。
いつもいつも怯えていたあの子は、どれほどの覚悟で泰成に向き合ったのだろう。そうしてまで言わなければならないと思ったんだろうか。
ずきっと胸が痛んだ。
今さらわかっても遅いことだが、あの子は泰成にとってただの従者などではない。家族なのだ。
しかし泰成はそういう情を、弱さだと信じていた。
自分には似つかわしくない感情なのだと思っていたのに。
子供っぽい抵抗を続ける泰成の理性を押さえ込み、心がずきずき痛む。
生まれて初めて、救いようがないくらい後悔していた。
……叩いたりしなければ良かった。出て行けなどと言うべきじゃなかった。
その日の予定を聞くだけでも、葛藤して泣きそうになる秀彬。あの子にとって泰成の言動一つ一つが、どんなに重いものなのか自覚してしかるべきだったのに。
泰成は惺の中へ自分を突き入れたまま、荒い息を吐いて動きを止める。目を閉じて痛みを受け流している美しい人。
こんな酷いことをするつもりじゃなかった。
一度覚えた後悔という感情が、堰を切ったように泰成を責め始める。
「惺…」
掠れた声で囁いて、細い身体を撫でた。
ふっと目を開けた惺が、泰成を見上げたとき、遠くドアの開閉する音が聞こえた。
泰成はほっとして、緊張を解く。理不尽な主人の言葉を受け入れられなくて、秀彬が戻ってきたのだろう。
惺が手を伸ばし、泰成の頬を撫でてくれた。反省しなさいと言われている気がして、泰成は曖昧な笑みを浮かべる。
さすがに従者に対して詫びるような言葉を持ち合わせてはいないが、それでも泰成なりに何か、埋め合わせをしなくてはならない。
叩いてしまった少年の頬が、腫れていなければいいのだが。
さっきまでとは打って変わって、優しく惺の身体を揺すり上げる。
美しい人が零す嬌声を聞きながら、泰成はどんな顔で秀彬に会えばいいのだろうと考えていた。
何か言ってやらなければ。
少年がまだ望むと言うなら、仕方ない。警察へ行ってやってもいいだろう。
「惺…」
「ん?」
「…もう少し、私といてくれ…」
たとえ犯人が捕まって、そばにいる理由がなくなっても。
初めて聞いた泰成の嘆願に、惺が笑う。答えを口にしてはくれなかったが、それでも彼の微笑みに安心して、泰成は細い身体を抱きしめる。
二人が秀彬の不在を知ったのは、その日の太陽が姿を消した頃だった。
≪ツヅク≫