【その瞳に映るもの@】 P:01


 春先の夜は、急に冷えたりする。
 うちの庭に咲いてた桜は先週早々に散ってしまったけど、4月下旬とはいえまだTシャツで寝られるほど温かくはならない。
 もうしばらくはパジャマ代わりに丁度良さそうなパーカーを着て、ベッドに寝っ転がっていた僕は、耳を疑う言葉にびっくりして、身を起した。
「……なに言ってんの?ナツ」
 最近の僕が一番嫌いなもの。ナツはソレの為に、忙しい時間を割く気でいる。

 僕がこんなに驚いてるっていうのに、僕を驚かせた張本人は、全然気付いてないみたい。
 僕とそっくりな容姿を持つ双子の弟、千夏(チナツ)は楽しげな表情のまま、開いた雑誌から目を上げようともしなかった。
「だからさあ、明日だよ明日。ちょこっと早く家出て、シェーナ寄って行かね?」
 あの表情はお気に入りを見つけて、ウキウキしてる顔だ。
 僕が唖然として黙っていると、ナツ不思議そうに顔を上げ、首を傾げた。
「何、用でもあんの?明日の朝」
「…ないけど」
「けど、何?」
「シェーナって何時からだっけ?学校行く前なんて、開いてないんじゃないの」
 シェーナって言うのは、学校の近くにあるカフェの名前。去年、僕たちの幼馴染みがバイトしたとき覗きに行って以来、ナツがいたくお気に入りの店だ。
 もちろん店はメニューがみんな美味しくて、雰囲気も良くて、僕だって気に入ってるけど。でも僕がびっくりしたのも、ナツが楽しそうにしている理由も、朝も早くからシェーナへ行こうという、その行動自体のことじゃない。
「平気平気。さっきオーナーに聞いたら開けといてくれるってさ」
「オーナーさん?…いつの間に…」
「いつってアキが風呂入ってる時だよ。ビスキュイ残ってねえ?って聞いたら、残しておいてあげる〜って言われてさ」
 女性のオーナーさんの口調を真似て、にやりと笑ったナツは、長めの前髪をかき上げた。
 ビスキュイっていうのは、さくさくしたクッキーみたいな焼き菓子のこと。なんかビスケットの語源だって、聞いたことがある。シェーナのビスキュイはテイクアウトにも手軽で、人気のお菓子。
 ナツも僕も気に入ってるけど、こんな風にわざわざ電話してまで買ったことは一度もなかった。
「じゃあ明日、学校行く前に取りに行くからって返事したんだけどよ…都合悪ぃ?」
 ちょっと困った顔をするナツに、黙って首を振る。いいよ、って僕が答えると、ナツはほっとした顔で笑ったんだ。
 でもきっとナツのことだから、僕が否と言えば、すぐにでもシェーナのオーナーさんに電話して、断ってくれるんだろうな。

 ナツはほんと、誰とでもすぐに仲良くなってしまう。双子なのにそういうとこ、全然違うなあって思うよ。
 僕の方が人当たり良く見られがちなんだけど、でも実際はナツの方が面倒見がいいし、人懐っこい。シェーナでも、たまに見かけるオーナーさんや、いつもいるマスターと、すぐに仲良くなってしまった。
 学校で生徒会長をやってるナツ。
 生徒に絶大な人気を誇って、この春からもう三期目。
 一緒に副会長やってる僕も、みんなから慕ってもらってるけど……みんな、ほんとに困ったことは絶対ナツに言うんだ。
 ナツって責任感が強いし、面倒見もいいしで、何か頼まれると平気な顔して全部背負っちゃうんだよ。あとでしんどい思いしても、絶対人に言わないの。
 よく他人のために、あれだけ働けるなあって。隣で見ていて、しみじみ思うよ。
 ……少し苛々もするかな。
 いつだって、何より誰より最優先してもらってる僕が言っちゃ、いけないのかもしれないけどね。

 高校三年になった今でも、同じ部屋で寝起きしている僕たちは、家を出ても大概一緒にいる。何をするにも二人一緒。
 子供っぽいって言われることもあるけど、それが一番心地いいんだから仕方ない。
 何を話しても、逆に話さなくても、僕のことはナツが一番わかってくれる。僕もナツのことなら、わからないことない。
 でも……だからこそ、僕はいま、びっくりしてる。

 窓の傍のカウチに足を投げ出してるナツは、読みかけの雑誌に視線を落として、柔らかい笑みを浮かべた。
「シェーナのビスキュイって、あんま甘くねえじゃん。あれだったら絶対、気に入ると思うんだよな〜」
「…………」
「でも一琉(イチル)ちゃんもさ、あの可愛い顔で甘いもん苦手って、ちょっと笑う」
 本当に楽しそうな顔で。その名前を出された僕は、僅かに眉を寄せた。

 藤崎一琉(フジサキイチル)。
 僕がいま一番、聞きたくない名前。

「…藤崎先生のため、ね」
 ちょっとだけ不機嫌に言ったんだけど、珍しくそれに気付かなかったのか、ナツは顔を上げにこりと笑って「そーいうこと」と答えた。