ちらっと腕時計を見て溜め息をついた僕は、視線を斜め前の机に向けた。
このつまらない授業が終わるまで、あと15分くらい。今は7時間目。今日の授業はこれで終わり。
一学期の期末テストまであと一週間と少し。嶺華の夏休みは、他の学校より一週間ぐらい遅く始まるから、期末テストは今月の半ばなんだ。
クラスのみんなはそれぞれ、真面目に授業を受けてるみたい。
こんな、肘ついてぼうっとしてるの、僕ぐらい。ここんとこ、ずっとだよ。
でも先生たちは仕方ないって顔をして、何も言わなかった。
気付くと僕の視線は、また斜め前の席に向けられてる。その席に生徒の姿はない。
……ナツの席。
もう三日も人が座ってない席。三日前にはナツがいたけど、その前は四日いなかった。
ずっと休みっぱなしのナツ。学校とは話がついているらしくて、先生もナツのことは気にしていない様子。
ひょっとしたらナツが何してるか知らないの、僕だけなのかもしれない。
6月の月初生徒総会の日、ナツは家に帰ってこなかった。
藤崎(フジサキ)先生の家に泊まったんだなんていうけど、本当かどうか知れたもんじゃない。
でも翌日に会ったナツは、一人でさっぱりした顔してて。何だか知らないけど、自分だけ何かを吹っ切ったみたいだった。
わかんないよ。ナツは何を考えてるの?
話を聞こうにも、ほとんど家に帰って来ないんだ。
帰ってくるのは僕のいない時間ばかりみたいで、そんな状態がもう、来週で一ヶ月になる。
何も言ってもらえない訳じゃないよ。
たまに学校に現れるナツを捕まえて聞けば、大抵のことを話してくれる。
どこに泊まってるの?って聞いたら、忙しくて時間がないから、おじい様のところに泊まってるんだって言ってた。おじい様のところの方が、都合がいいんだって。
それに、先週は香港、その前は北海道に行ってたってのも教えてくれた。僕たちの部屋の冷蔵庫にお土産が入ってるから、食べてくれって。
確かにナツの言う通り、チョコレートとか生キャラメルとか入ってたけど、一人で食べる気なんかしないから、そのまま置いてある。
ナツはちゃんと、聞いたことには答えてくれるんだ。
ただ、何をしてるの?って問いにだけ、答えてもらえない。
何度も聞いても、ナツは曖昧に笑って「色々」としか答えてくれないんだ。
僕は当然、納得できなくて。
苛々とナツを追及してるうち、いつの間にか自分が、激しい言葉でナツを責めてることに気付く。僕が思わず黙り込むと、ナツはやっぱり「ごめん」って言って。
困った顔で「もうちょっと待ってくれ」って、同じことばかり言う。
そのうち時間だからって、僕の前から消えてしまうんだ。
学校へも来て、やらなきゃいけないことは全部こなしてるよ。
生徒会室に行くと、たまにメモが置いてあって、そこに指示が書かれてる。本人はいないのにね。ナツの指示は端的で的確だから、生徒会も嶺華(リョウカ)高等部も、運営に滞りナシ。
あんなにうるさくナツの独断専行を咎めてた藤崎先生まで、そんな勝手を許してるんだ。何か知ってるんだろうに、ナツくんとの約束だから、もう少し待ってなさいって言って、教えてくれない。
僕だけ取り残されてる。
ナツは僕にだけ、大事なことを話そうとしない。
「今日はここまで」
先生の声に、のろのろと立ち上がった。号令にぼんやり頭を下げ、座って。机の上を片付ける。
沈黙を続ける僕のこと、クラスメイトが心配そうに見てるけど、今の僕には何もかもが煩わしいだけだった。
ほっといてよ。
ナツに必要としてもらえない僕なんて、何の価値もないんだから。
でもそれは、また僕の悪いクセが出ているだけなのかもしれない。ナツになら、どんなワガママでも聞いてもらえると思ってる、僕の悪いクセ。
全てが狂いだしたのは、間違いなく僕がナツに何の相談もせず、進路を変えてからだ。
工学部から文学部へ、唐突な針路変更。
あの時、自分は何も言わなかったのに。ナツに話してもらえないのを不満に感じるなんて、都合が良すぎるよね。
僕が勝手にしたせい?
だからナツは、僕が要らなくなっちゃったのかな。
だったらもう、僕は全てを元に戻してしまいたいとさえ思ってる。
イヤだよこんなの……僕はやっぱり、ナツさえいれば他には何もいらない。
いつの間にか始まっていたホームルームも終わって、教室が騒がしくなる。
遠巻きに見つめる気遣わしげな友人たちを全身で拒絶して、僕は鞄を手に取り立ち上がった。
廊下をふらふら歩きながら、窓越しに見つめる二年棟。そこには誰もいなくて、静まり返っている。二年生は先週から修学旅行だ。