状況がわからずに気が焦る。
けっこう急いだんだけど、一琉(イチル)ちゃんのマンションにたどり着いた時には、電話をもらってからもう、一時間ぐらいが経っていた。
「タケル!」
マンションの入り口。
エントランスの外の、植え込みのところに座ってるタケルを見つけ、車を停めてもらって駆け寄る。
携帯に電話して、シェーナにでもいろって言ったのに、タケルはここで待ってるって聞かなかったんだ。
「ごめん、ごめんな!待たせた!」
短い距離を走って、顔を上げたタケルの頭を胸の辺りに引き寄せる。
本当にごめんな。日が暮れ始めてからも、暑さが残る中、こんなところで座ってんの、辛かったよな。
やっと会えてほっと息をつくのに、タケルがあんまり黙ってるから。首を傾げて離してやると、なんか上から下までマジマジ見られてしまう。
「…?なに」
「スーツ…」
「え?ああ、着替えてる暇なかったんだ」
東京ではもう夏日を記録する日もあるんだけど、オレは今、上から下までびしっとスーツを着込んでる。そんな珍しいか?
「…初めて見た…」
ぼうっとした顔でオレのこと見てるタケルが、少しずつ赤くなっていく。何だよ?変なヤツだな。
「別に、制服と変わんねーじゃん」
うちはブレザーだし。そう言うとタケルは、やけに首振って。またオレのこと見てるんだ。
「全然、違う」
「そうか?」
「…大人っぽい」
いやオレ、お前に比べたら十分、大人だし。タケルの顔を覗きこんで、ようやく気付いた。
ひょっとして、褒められてんのか?
「えっと…今日は経営コンサルタントやってる先生と会うはずだったから…」
さすがにラフな格好で行くわけにもいかないし、制服着てってガキなの丸出しじゃ、時間割いてもらうのに申し訳ないし。
「でも、そっか。初めてだったか?けっこう着てるんだけどな、スーツ」
メシ食いに行く時とか、パーティ呼ばれた時とか。オレ自身は前から着慣れてるんだけど。
すっと立ち上がった背の高いタケルを見上げてると、なんか妙に深刻な顔をされてしまった。
「タケル…?」
「似合ってる…綺麗だな」
「っ…!!!」
うわ、なんかすげえ照れくさい!
やめろよそういうの!!
タケルは時々、こういうことをする。何食わぬ顔で、唐突に人を動揺させるようなことを言うんだ。
しかも一言、二言の言葉で、端的に。
自分の顔が真っ赤になっていくのがわかってしまう。思わず顔を背けると、タケルが可笑しそうに笑いだした。
「なに照れてんだ?」
「バカじゃねえのっ!照れてねえよっ」
くっそ〜……余裕かましやがって。オレのことからかって、そんな楽しいかよっ!
「とっとと車に乗れよ!暑いだろ!」
「うん。…なあ」
「なんだよっ」
まだ何かあんのか?!もういい加減にしてくれって。
動揺するオレの腕を掴んだタケルは、すげえ申し訳なさそうな顔になっていた。
「忙しいのに…悪い」
しゅんって、肩落としてオレを見てるんだ。お前、反則だよ。
さっきまで大人の顔で、平然と恥ずかしいこと言ってたのに。急にそんな、子供の顔するなんて。
オレ、ほんとに弱いんだよな……タケルのこういう顔。
「気にすんなって、早く乗りな」
「うん」
タケルを先に車に乗せて、自分も乗り込む。空調の効いた車内にほっと息を吐き出して。そしたらタケル、今度は物珍しそうに車の中を眺めてるんだ。
「豪華だろ」
タケルの気持ちを代弁してやる。頷くタケルが荷物を抱えてるから、置けば?って言ってやった。
「…先輩の家の?」
ちょっと居心地悪そうに、どこへ置けばいいのか迷いながら足元に荷物を置くタケルに聞かれ、首を振る。
「まさか。じいちゃんとこの車だよ」
さすがにオレだって、こんなリムジンで移動したりすること、めったにない。
でも電話がかかってきとき、じいちゃんの家にいて、車出してくれるように頼んだら、これしかないって言われたんだ。
目立つから嫌なんだよな、この車。
「千夏(チナツ)様、ご自宅で宜しいですか?」
運転席から聞かれる。運転手もじいちゃんちの人だ。
「お願いします。出してください」
揺れの一つもなく、スムーズに走り出す車の中。流れていく景色に息を吐いたタケルが、オレを振り返った。
「目の前にこれが停まったときは、びっくりした」
「オレも。車出してって頼んで、この車が回された時は、どうしようかと思ったよ。でもこの西原(ニシハラ)さんは、オレが知る中で一番運転上手いんだぜ」
そう言うと、ミラー越しに運転手の西原さんが微笑んでくれる。
「お前で良かった。一琉ちゃんだったら、着くまでずっと嫌味言われそうだ」
「兄貴に?」
「学校でもさんざん、御曹司御曹司って嫌味言われてんだからさ」