「ああ…でも、俺もさすがに、思った」
「うん?」
「アンタが千夏様って呼ばれたとき」
くすくす笑うタケルの頬を、ちょっと睨みながらつねってやる。
「うっさい」
でも、ほんとに良かった。
先月だったら「千夏坊ちゃん」って呼ばれてたところだ。
全ての動機が「誰かのため」じゃダメなんだって、気付いたんだ。
アキが望むからとか、直人がそうしたいからとか。
オレはいつも誰かを、理由にしていた気がする。
強くなりたいと思ったとき、オレの中に鮮明に浮かんだのは、自分の祖父の姿。
たくさんのものを守り、多くの世界を切り開いてきたじいちゃんは、何事からも逃げようとしない。
一琉ちゃんの家に泊めてもらって、翌日にじいちゃんの元を訪れたオレは「強くなりたい、自分を見つめ直したい」って言ってみたんだ。
そうしたらじいちゃん、にやにや笑ってさ。やっとお前も、そういうことを言えるようになったかって。言ってくれた。
アキの為だからって自分に言い訳をするのは、逃げてるのと同じだ。
自分がどうしたいのか。自分の為に今なにをしたらいいのか。自分で判断できるようにならなきゃいけない。
今はまだ、手当たりしだいに色々やってる途中なんだけどね。
自分の甘さに抗うことを始めたオレの話を聞いて、じいちゃんは自分の家で雇ってる人たちに、オレを子供扱いすることを禁じた。
これからは千夏を「ぼっちゃん」とは呼ばず、大人として扱えって。
だからそれからというもの、幼い頃から可愛がってもらってる人たちに「千夏様」って呼ばれてる。
他の場所では当然の呼び名なのに、小さい頃から世話になってるじいちゃんとこの人たちに言われるのは、どうにも慣れてなくて……まだちょっと照れるけどね。
「ところでさ。どうしたんだよ?いきなり迎えに来いなんて」
嶺華(リョウカ)でアキに会って、泣きそうな顔で「行かないで」って言われてから、一時間くらいかな。一琉ちゃんが携帯に電話をかけてきたんだ。
いきなりだよ。一晩タケルを預かってくれって。今日の予定は全部キャンセルしろとか言うんだぜ。
「ごめん…予定あったんだろ」
「まあ、それは何とかなったから。気にすんな」
本当は、まさに出かける寸前だったんだけど。そんなことをタケルに言っても、仕方ない。
直接足を運んで謝罪したオレを、多忙なコンサルタント業で分刻みのスケジュールを組んでるその人は、笑って許してくれたんだ。久しぶりに時間が出来た、こんなことでもないと休めないから、ありがたいよって。
すごいよな。ああいう余裕を、大人って言うんだろうな。
「一琉ちゃんからは詳しいこと、聞いてないんだ。何かあったか?」
尋ねるオレに、タケルはいっそう申し訳ないって顔になってしまう。
「その…いま家に、アキさんが来てて」
「アキが?」
「兄貴が強引に連れて来たみたいで」
「…そうか…へえ」
ぎくしゃくとタケルから目を逸らした。
一琉ちゃんが強引にアキを自分の家に連れ込んで、一晩タケルを預かれって……つまりは「そういう」ことだよな?
あ〜あ……一琉ちゃん、アキ落とすのに本気出したんだ。うーん。
「…先輩?」
「いや…まあ…アキがいいなら、いいけどさあ」
オレが不在の間、アキのことを頼むって一琉ちゃんに言ったのはオレなんだし。
本当は可愛い女の子を紹介したかったけど、うっかりアキ狙いの一琉ちゃんに、大事な兄さんのこと預けちゃったんだよな。
……こうなることを予測しないわけじゃなかったけど。
なんか……うわ〜、現実的に考えてみたら、けっこう怖いな。
父さんたちにはバレないようにしろって言っとかないと。
「…お前はいいの?」
「なにが」
「だってそれは…なあ?」
曖昧な言い方でしか、聞けねえよ。ちらりとタケルを見たら、よくわからないって顔で首を傾げてる。
……中学生に聞くこっちゃねえか。
「仕方ねえ、一琉ちゃんに任せるって言っちまったしな」
「…うん?」
「なあタケル、お前明日は休み?」
急に話を切り替えたオレを、しばらく訝しげに見てたけど。タケルは休みだと頷いた。
「じゃあさ、一緒に出かけようか」
「先輩と?」
「そ。オレの馬、今日こっちに着いてるんだ。明日には軽井沢まで会いに行く予定にしてんだけど、お前も来いよ」
その馬のことは、タケルにも何度か話していた。
昔、乗馬を習った時、じいちゃんから貰った馬がいてさ。アキがやめたいってった日から、厩舎へ預けっぱなしになってたんだ。本当はずっと、気になっていた。
最近になってそいつを探したら、北海道の牧場で預かってもらってることが判明して。十数年ぶりに会いに行ったら、オレのこと覚えてるはずもないのに、懐かれちゃったんだよ。