【その瞳に映るものI】 P:10


 ああ、可愛いな。本当は俺だってアンタを離したくない。このまま、どこまでもついて行きたいけど。
 でもそんな面倒な子供、アンタに嫌われるだけだろ?
「じゃあ行って来る」
「うん」
 ゴミを捨てて、軽く手を振った千夏が、階段を下りていく。窓から見てると、車に乗る前にもこっちを向いて、手を振ってくれていた。
 俺は車が見えなくなるまで、必死で笑顔を作って。見えなくなった途端、食べかけのバーガーを押しやり、テーブルに突っ伏ていした。

 兄貴にはアキさんがいて。千夏も兄貴を守ってくれるから?……だから何?
 音楽なんかどうでもいいって、何度も何度も言ってんじゃん。どうして伝わらないんだろう。
 俺の味方だなんて言うけど、アンタはもうここにいないじゃないか。どんなに俺がアンタを好きでも、アンタは飛んでっちゃうじゃん。
 離れてれば俺が、アンタを諦めるとでも思ってる?そうやって少しずつ、俺との距離を測ってるのか?
 自分のことを考えろなんて。
 俺はアンタが好きなんだ。いま俺の中にあるのはその想いだけ。俺には距離なんか測れない。そんな大人なこと出来ないよ。
 ずっと一緒にいたい。
 いつもそばで千夏のこと見ていたい。
 でもそんな存在は、千夏に必要ないんだろう。千夏が望むのはきっと、自立した大人で「ちょうどいい距離」で付き合うことが出来る人。

 でも俺、そんなことしたら何もかも失うんじゃないかな。
 兄貴のことをアキさんに任せて、飛び回るアンタを見送ったら、もう俺には何も残らない。
 俺だけが、一人になってしまう。
 でもそれに耐えられなきゃ、みんなと一緒にいることは出来ないのかもしれない。
 こんな子供じゃ、誰かの足枷になるばかり。無力な自分にうんざりする。
 どんなにイヤだと喚いても、俺には千夏を追いかける力がない。
 一人になりたくないと泣くばかりじゃ、兄貴を自由にすることも出来ない。

 もらったブレスの上から、ぎゅっと自分の手首を握り締める。
 ―――ワガママなのかな。
 俺のことを理解しない両親の元へは行きたくないとか、兄貴との暮らしを続けたいとか。そんなことを考えてる自体が、子供のワガママなんだろうか。
 ……そう。確かに俺が、おとなしく両親の元へ行けば、全部解決する。
 適度な距離が欲しいんだろう千夏とは、遠く離れて会えなくなる。
 アキさんとの時間が欲しい兄貴は、大事な恋人を自分の家へ呼べるようになる。
 俺がワガママ言わなきゃ、全部解決するんだ。
 どんなに嫌でも。
 どんなに悔しくても。
 こういう辛いことを受け入れられるようになったら、俺は大人になれるのか?
 どんな無理難題を持ち掛けられても、寝る間を惜しみ、歯を食いしばって戦う千夏の姿に憧れてる。
 だったら俺は……俺がやらなきゃならないことは。
 ―――本当は知ってる。
 目を逸らしてるだけ。

 身体を起こした俺は、携帯を取り出して時間を確かめた。今から帰って、身支度整えたら、昼前に向こうへ着けるかな。
 一人で俺が頑張ったら、千夏は俺をちゃんと見てくれる?対等な相手として、保留にした答えを、俺にくれる?
 だったら少しぐらい、頑張ってもいい。
 離れた場所で、会えない千夏のことを待ってるから。

 目の前のバーガーを齧ってみるけど、冷えたそれは油っぽくて、とてもじゃないけど食べられなかった。水っぽくなってしまったコーラだけを飲み干して、他は全部捨ててしまう。
 ―――千夏が好きだ。
 その気持ちがあるから、俺は少しだけ頑張ることにするよ。
 音楽のことばかりで、普通のことが何も出来ない両親。どうせつまらないとわかってる毎日に、せいぜい料理の腕でも磨いてみようかと考えながら。
 俺は兄貴と暮らす家を出る決心をした。



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≪ツヅク≫