【その瞳に映るものI】 P:09


 平気な顔で笑うなよ。俺がいなくなっても平気なのかよ!そばにいてくれって言ったの、アンタじゃん!
 アキさんと仲直りしたら、もう俺はいらないって?自分のことで忙しいから、ちょうどいいのか?
 そうだよな。確かにアンタは、べったりした人間関係を望まない。誰とでも「ちょうどいい距離」ってのを探してる。
 千夏の周りはみんな、アンタに関わりたくて必死だけど。アンタ自身は、絶対に流されたりしないんだ。
 ―――俺だけは違うと思ってたのに。
「おい、どうしたんだよ。タケル?」
「アンタ…酷ぇよ」
 俺がアンタに会えないでいるの、どんなに我慢して耐えてると思ってんだよ。なのにもう、いらないって?
 俺とも「ちょうどいい距離」ってのを探してんのか?
「…なんだよ、酷いって。オレお前を怒らせるようなこと言った?」
「俺なんか、いらないのか?」
「…はあ?!何言ってんだお前!」
 驚いて声を上げた千夏は、はっとして周囲を見回してたけど、溜め息ついて立ち上がった。誰もいないこと確認してたんだろう。そのまま俺の隣の椅子に移ってくる。
「お前はもう…飛躍すんなよ」
 子供扱いして頭を撫でるから、むかついて千夏の手を避ける。そうしたら今度は、俺の頭を抱えて肩口に押し付けた。
「ったく…なんでそうなんの?可能性の話じゃん。お前が行きたくないなら、別に勧めたりしねえよ」
「先輩…」
「ただお前がさ、ご両親に反発して行かないって言ってるように見えたから」
 とんとん、って肩を叩いてくれる。
 それは子供をあやす方法?それとも恋人を慰める方法?……アンタは友達にまでそんなことすんのか?
「音楽の勉強をするなら、いい話じゃねえのかなって。お前ぐらい才能あんなら、そういう道も全然アリじゃん。この際だから、わだかまりとか取っ払って、一度向き合ってみたら?って。それだけだよ」
 そろりと緩くなった千夏の腕。ゆっくり顔を上げると、間近になったきれいな顔が優しく微笑んでいた。
「お前もオレと同じだろ」
「…何が」
「兄貴の為に、ピアノをやめた。兄貴が責められるのイヤで、音楽から遠ざかった」
「…………」
「もういいんだ。もう、そんなこと考えなくていい。お前は一度自分のことに、向き合った方がいい」
 階段の方から足音が聞こえる。千夏も気付いたんだろう、俺の額に唇を触れさせてから、向かいの席に戻っていった。
 そうして距離を取ったら、やっぱり俺の前に座っているのは、俺より細身で、俺より小柄だけど、立派に世間で通用する大人の男だ。
「なあタケル。お前もしかして、一琉ちゃんのことも何か言われたんじゃねえの」
 わずかに細くなった瞳が、俺の抱えてる秘密を見透かしていた。
 黙って答えなかったけど、千夏には何もかもお見通しなんだろう。
「…そっか」
 小さく頷いて息を吐く千夏は、腕に嵌めてる時計を見た。……もう時間が迫ってるんだ。
「なあ…お前、成田まで付き合わねえ?」
「成田?」
「帰りは家まで送らせるから。一緒に乗って行かね?」
 少しでも時間を取ろうとしてくれる千夏に、首を振る。
 これ以上、手間取る存在にはなりたくないし、今の気分であの苦手な運転手さんと二人にはされたくない。
 自分で帰ってくるには、財布の中身が足りなかった。
「そっか」
「…ごめん」
「いや、無理言ったな。気にすんな」
 思案してる様子の千夏は、窓の外の車を見て、重い溜め息をついていた。
「先輩…」
「うん?」
「いいよ…時間ないんだろ?」
「そうだけどさ。…ほんと、勝手だなオレって。ごめんな?」
 千夏は自分のトレイに乗ってたゴミを適当にまとめて、俺を見上げた。
「なあタケル。一琉ちゃんは大丈夫だよ」
「…え?」
「一琉ちゃんにはアキがついてる。何よりアキの恋人で、お前の兄貴なんだから。どんなことしてでも、オレが守るよ」
「…………」
「お前はお前自身のことを考えな?ご両親とか親戚に対する思いもあるだろうけど。そんな些細なこと気にすんな」
 千夏は後ろ髪引かれてる顔で立ち上がって、ちらりと他の客を見ながら、俺の頭を撫でた。
「オレに出来ることなら、何でもしてやるよ。まだ時間はあるんだから。もう少し考えるといい」
 座ったまま千夏を見上げる。
 優しい顔が、俺には冷たく見えた。
「帰ったて来たらまた、話聞かせて。連絡するから」
「…わかった」
「でももし辛くなったら、いつでも電話して来いな」
「うん」
「なあタケル…オレはお前の味方なんだって。絶対忘れんなよ?」
 きゅっと俺の耳を引っ張った千夏は、どこか不安そうに見えて。俺は精一杯の虚勢を張って笑った。
「わかってるよ、先輩」
「そっか」
「急がなくて平気か?」
「…実はあんま平気じゃない」
 ほっと笑った顔。