【その瞳に映るものN】 P:01


 カフェ・シェーナはここに店を構えて、今年でもう5年目になる。

 店のメンバーはオーナーの美沙(ミサ)に、フロア担当で店長を任されてるの俺と、あとはシェフにバリスタ。繁忙時にはバイトが入れ替わりで何人かってとこだ。
 オープンは11時、クローズが21時。
 客層は時間によって様々で、ランチ目当ての奥様方から、ドリンクフリーの15時以降になると近所の学生。夜は仕事終わりのサラリーマンやOLってとこか。
 一番多いのは、店のすぐ近くにある嶺華(リョウカ)学院高等部の関係者。

 知ってるか?嶺華って。名前ぐらいは聞いたことあるだろ。俺みたいな庶民じゃ普通は絶対に知り合うことのなさそうな、金持ちのお坊ちゃんたちが通う学校だ。
 普通の学生だったら二の足踏む価格設定の店だってのに、お坊ちゃん方は気にした様子もなく、まめに通ってくれている。
 去年と今年はとくに、人気者の生徒会長以下、生徒会役員の面々が常連なんで、学生の客がいっそう増えた感じだな。
 運が良けりゃ生徒会の人間と親しくなれるんじゃないかってのが、うちへ通う理由らしい。同じ学校の生徒なのに、まるでアイドル扱いだ。
 

 
 5年前、店自体のオープン時から住みついてる、店の二階。その自分の部屋で休憩を取っていた俺は、時計を見上げて立ち上がった。そろそろ戻らねえと。
 階段を下りた先の廊下には、厨房と店内へ、二つのの入り口がある。いつもは真っ直ぐ店へ戻る俺なんだが、今日は厨房の方へ足を向けた。
 普段は朝だけ菓子類を作りに来る、不在の多いオーナー様。
 しかし今日はいつも明るい関西弁のシェフと共に、昼をとっくに過ぎた今も、店の厨房でせっせと働いている。
「…御精の出ることで」
 嫌みったらしく声をかけてやると、二十代半ばのシェフが、ガキみてえに情けない顔を上げた。
「吉野さ〜ん。なんとか言うてぇやぁ」
「ナントカ」
「そんなオヤジギャグが聞きたいんとちゃうし!」
「三十過ぎたらオヤジだっつったのはお前だろうが」
 十歳近く年下である、こいつの口癖。悪かったな?三十路も半ばでよ。
「いやいや若いで!ヤングやで!せやからオーナーになんとか言うてって〜」
 泣き言を訴えるシェフの向こうで、にこにこと、いくつになっても少女めいた顔をしているオーナーが顔を上げた。
「は〜い、手を止めな〜い。ぐだぐだ言ってる暇があったら働いてね〜」
「も〜!俺、ドルチェ作んの苦手やからこの店入ったんやでっ!」
 俺が休憩に上がる前からこの調子。
 今日は知り合いの元へ差し入れを持っていく予定のオーナーが、一番忙しいランチタイムを終えたシェフを巻き込んで、けっこうな量の菓子と、手軽に食えるサンドイッチを用意している。
 サンドイッチの方は俺が休んでる間に用意が終わったのか、シェフの手には甘そうな生地の入った、大きなボウルが抱えられていた。
 つーかコレ、オーナーが個人的にやってることで、店には関係ないんだよ。
 手伝う義理なんかあるわけねえし。
「アンタ普段からそれっくらい、真面目に店で働いたらどうなんだ」
「え〜まだそんな期待してるの〜?吉野くんもいい加減、諦め悪いわね〜」
 けらけら笑いやがって。
 だいたいこのオーナーは、めったに店へ顔を出さないくせに、たまに来たと思ったら、店で客と遊んでやがるんだ。俺たちもよく、ついて来てるものだと思うね。

 まあ俺にとって、美沙は雇い主であると同時に、昔馴染みの古い付き合い。
 美沙の弟と俺は小学校からの友人で、高校からの親友だ。口より先に手の出る美沙には、昔っからよく笑顔で殴られた。もしかしたら真面目な美沙の弟より、俺の方が殴られてたんじゃないかってくらい。
 あの頃と比べりゃ随分、温和になったよな……人間やっぱ四十に近づくと、丸くなってくんのかね?
 美沙は俺より5歳年上のはずだ。
 ってことはもう四十越えてんのか?それとも直前?
 ―――ま、歳の話は禁句だ。
 我が身が可愛いなら、確認はしない方がいい。

「俺は店に戻る。ワガママオーナーに振り回されんのも適当にしとけよ」
「ちょお吉野さんっ!助けてぇやっ!」
「知るか」
 逆らえないお前が悪い。
 泣きつくシェフを放って店へ戻ると、俺の不在を預かってくれていたバリスタが、温和な笑顔で振り返った。
 シェフと同い年のバリスタは、あいつと違って静かなものだ。
「お疲れ様です」
「お疲れさん。何かあるか?」
「いえ、大丈夫です」
「そうか」
 答えながらフロアを見回し、休憩に入る前はいなかった常連客を見つける。
 嶺華のアイドル生徒会長、笠原千夏(カサハラチナツ)だ。
 

 
「ようナツ、今日は早ぇな」
 カウンターに近い6人用の広い席で、オフィスのようにして書類を広げていたナツは、俺の声に顔を上げた。