【その瞳に映るものN】 P:02


「なんとかね。思ったよりスムーズに終わったんだ」
 にこりと微笑むナツの前で、そっくり同じ顔がむうっと唇を尖らせている。
「スムーズじゃないよ…朝からバタバタだったじゃない」
 生徒会ではナツを支え、副会長を務めている双子の兄貴。笠原千秋(カサハラチアキ)。
 ナツとアキは整った容姿と実績で、生徒に絶大な人気を誇る、嶺華高等部のツートップだ。
 その隣にいる小柄な人物は、今年の春から嶺華で化学教諭を務めている藤崎一琉(フジサキイチル)先生。
「いらっしゃいませ、藤崎先生」
「お邪魔してます」
 大学を出たての若い藤崎先生は、眼鏡をかけたきれいな顔で、にこりと微笑んだ。
「え〜?吉野さん、僕には?」
「いたのか、アキ」
「も〜…酷いなあ。いつもナツばっかり贔屓するんだから。今日は僕だって忙しかったんだよ?」
 訴えてくるアキに、肩を竦める。
 この双子は容姿が同じだというだけで、性格的には全然違うんだ。
 そりゃナツを可愛がってもしかたないだろう?アキ。お前はどちかっていうと俺に似ている。だから可愛くない。
 自分も労えと不満そうなアキを見て、ナツは眉を寄せた。
「お前がサボるからじゃねえか」
「ナツと一緒にしないでよ。僕はナツみたいに、授業受けながら図面のチェックしたり出来ないもん」
「そこじゃねえだろ。いちいち所在不明になりやがって」
「なんで?所在不明じゃないじゃん。僕の居場所なんて、化学準備室に決まってんだから。ねえ先生?」
「まあ不明って言うと、語弊があるだろうね。用があるなら、踏み込んで来れば良かったのに」
 メガネの奥から、意地悪くナツを見ている藤崎先生は、きれいな顔に似合わず、こういう人だ。
 ナツが僅かに顔を赤くした。
「踏み込めるわけねえだろっ」
「別に今日は大したことしてなかったよ」
「た、大したことって…」
「忙しかったし、手っ取り早く口で…」
「一琉ちゃんっ!」
 危ないこと言いかけた藤崎先生を、ナツが慌てて止めている。
 自分のことでもないくせに、耳まで真っ赤になってしまったナツは、意外と色事に関して純情だ。
「見たいなら見せてあげるけど?後学のために見ておけば?」
「え〜弟に見られるのはちょっとな〜」
「いいじゃないか、別に。弟のためなんだから、協力してあげなさい」
「そう?じゃあナツ、見に来る?」
「もういいって…勘弁して」
 がっくりとテーブルに突っ伏してしまったナツの、さらりと手触りのいい髪を撫でてやる。
 自分たちのことを一切隠す気がない、アキと藤崎先生。夏休み前のあたりに付き合い始めてからというのもの、二人の暴露発言はいっそ、清々しいくらいだ。
 俺としてはそういう、屈託のない二人を好ましくさえ思っているが、いちいち動揺するナツが哀れに思うのも事実で。
「あんまりナツのこと苛めてやらないで下さいよ。藤崎先生」
「苛めてるんじゃないんですよ。可愛がってるだけなんです」
 ナツを庇う俺の言葉にも、先生はけろりとしたものだ。
「吉野さ〜ん…一琉ちゃんが怖い〜っ」
「ナツお前も、もうちょっと慣れろよ。そうやっていちいち反応するから、面白がられるんだろ」
「無理っ!絶対無理ッッ!!」
 ぶんぶん首を振っている。
 こういうナツの可愛いところを見ていると、つい苛めてしまう藤崎先生の気持ちがわからなくもない。

 苦笑いを浮かべた俺を見上げ、吉野さんまで笑う〜っと、ナツは手にしていた書類をテーブルへ放り出した。
「大体さ、学校の方は終わったのに、オレ一琉ちゃん関係の書類まとめてんだぜ?もうちょっと労わってくれてもいいんじゃねえのっ」
 拗ねた顔で溜め息をつくナツに、藤崎先生は首をかしげている。初耳だとでも言いた気な表情だ。
「ぼく関係って、何が?」
「明後日の神無祭(カンナサイ)だよ。先生は気にしないかもしれないけど、やっぱ用意はしておいた方がいいと思うし」
 神無祭というのは、嶺華の体育祭。そういえば世間はもう、そんな時期か。
「明後日なのか?神無祭」
「うん。まあ二年目だから、準備も滞りなくやってるけどね」
「確かに去年は大変だったからなあ」
 去年のナツは、本当に寝る暇もないほど動き回り、ついには倒れる寸前にまでなってしまった。タフなナツが真っ青な顔でここへ来ていたのを、俺も覚えている。
「…だから、何?」
 今年嶺華へ来たばかりの藤崎先生は、ことの次第がよくわからない、と不思議がるばかりだ。
 ナツアキが顔を見合わた。
 まあ確かに、ずっと嶺華育ちのこいつらでは、藤崎先生が訝しがる気持ちもわからないだろう。
「藤崎先生は初めてですか?」
 庶民の気持ちは、庶民にしかわからないんだよな。藤崎先生を俺みたいな、草の根庶民と一緒にするのも申し訳ないが。
「神無祭、ですか?」