そりゃ千歳の幸せは願うし、その葛という男を千歳が忘れられないでいる話は、虎臣も聞かされている。しかし高校三年間しか一緒にいなかった男に、その倍以上の時間を一緒に暮らしている自分が、千歳を奪われるなんて。
…ありえない。千歳を幸せにするのは、自分なのだ。
どうしたものかと虎臣が自分の皿を睨みつけていると、横からひょいっと箸が伸びてきた。
「…千歳さん?」
「苦手だもんね、虎くん」
笑って言う千歳が、虎臣の皿から自分の皿へとニンジンのグラッセを移し、食べてくれる。その様子を見咎め、理子が眉を寄せた。
「千歳、甘やかさないで」
「今日だけだよ」
「そんなこと言って、いつも食べてやってるでしょ。だからトラの野菜嫌いが直らないのよ」
「でも、誰にでも苦手なものはあると思うし…理子さんが料理しても虎くんが食べられないのって、ニンジンだけだよ?」
「そうよ。だから毎週作ってるんだもの」
「また…そんな意地悪しないの」
「これは意地悪じゃなくて、しつけ」
「…わかったよ。じゃあ次は虎くんも頑張って食べようね」
頭を撫でる千歳の手を見つめ、虎臣はその手をぎゅうっと握り締めた。
「虎くん?」
「離婚したりしないよね」
こういう手はもう使いたくなかったが、これが一番千歳に効くのを、少年は知っている。
隣に座る千歳の手を握ったまま、虎臣はじいっと上目遣いの視線を向けて訴えた。
「千歳さんはずっとボクのお父さんでいてくれるんでしょ?約束したよね?」
意図的に可愛い顔を作っている息子を見て、理子は肩を竦めるが。何も知らない千歳には、やはり効果てきめんだ。
「ね、千歳さん…ボクまだ中学生だよ」
「うん、わかってる。大丈夫だから」
「ほんと?」
「本当。虎くんが大人になるまで、僕でよければお父さんでいるよ」
良かった、と笑う虎臣を優しく見守り、千歳は無意識に胸の辺りを押さえていた。
耳の奥にずっと蓮の声が残っている。
理子のことは大好きで、虎臣のことも可愛いと思っているのに。それでもあのとき初めて感じた結婚への後悔は、忘れられそうになかった。
《ツヅク》