南国荘(ナンゴクソウ)こと、葛(カズラ)邸での生活は、東 千歳(アズマチトセ)にとって楽しいことばかりではない。
緑の溢れる大きな庭には、蓮(レン)の母親である榕子(ヨウコ)が「精霊さん」と呼んでいる存在が、溢れ返っている。それらが見えてしまう千歳は、毎日屋敷と門の間を全力ダッシュする日々だ。
またラジャとかいう男は、出来るだけ千歳の前に姿を見せないようにしてくれているが、その存在があるのだと思うだけで、部屋にいても一人になると、どうにも落ち着かない。
庭にいる精霊たちは、ラジャを慕ってこの南国荘に住んでいるのだとか。
またラジャ自身は精霊ではないので、知能も高く千歳たちと同じ言葉を操ることが出来るが、他の精霊は自分たちの言葉しか喋れないので、榕子でさえ彼らが話している言葉を理解できないそうだ。
そんな風に榕子から、一通りの説明は受けたものの、見えないはずの彼らに対する恐怖は、どうしても消えない。
それでも千歳にとって、新しい生活は楽しい比重も大きかった。
――ホント、眼福。
どうにも緩みっぱなしの頬。
千歳の視線の先では、蓮が虎臣(トラオミ)の弁当を詰めていた。器用な手で菜箸を操る姿も、蓮がやるとまるでモデルのようにカッコいい。
一緒に住むようになって発見する、蓮のプライベートな姿。
もちろんカメラを構えている時が一番輝いているが、洗濯物をたたんでいようと、掃除機をかけていようと、千歳はいつだって蓮に見惚れてしまう。
逞しいのにスレンダーな身体。何でも出来てしまう大きな手。
整った顔が真剣な表情で見つめるのは、味噌汁の鍋だったり、特売のトイレットペーパーだったりするのだが、そんなことは千歳に関係ない。大好きな蓮の顔を、毎日見ていられる幸せ。
苦手な料理以外の家事を、積極的に家事を手伝う千歳が、本当は単に蓮と一緒にいたいだけなのだということくらい、南国荘の住人たちにとって、すでに周知の事実。
あまりにもわかりやすい行動。
知られていないと思っているのは、もはや千歳だけである。
千歳は手にしていたサンドイッチに噛り付いた。蓮の作る料理はどれも、とても美味しくてバランスがいい。
――と、ゆーか。至福?
蓮の作ってくれた料理を食べて、蓮の洗ってくれた服を着て、蓮の姿を見つめる生活。
勝手なようだが、今では恋人と共にイタリアへ行ってしまった妻の理子(リコ)に、感謝したい気分だ。
にこにこ嬉しそうに朝食を食べる千歳の隣で、虎臣が嫌そうに同じように用意されたサンドイッチを睨んでいる。
野菜の嫌いな彼にとって、今朝のこの食卓は、嫌がらせだとしか思えない。
ハムサンドにはキュウリ。卵サンドにはトマト。おまけに野菜サンドまでセットになっている。思わず溜息をついた虎臣のもとに、鋭い声が飛んできた。