「こういうのも、逃げなのかな…」
虎臣(トラオミ)の顔をまともに見ることも出来ず、自分の部屋へ戻ってきた千歳(チトセ)は、虎臣のベッドを見つめながら、溜息を吐く。
蓮(レン)に「お前は逃げてばかりだ」と責められ、ちゃんと努力するから、と誓った昨日の夜。それからいくらも経っていないというのに、また自分は同じ愚かさを繰り返すのか。
自分のベッドに横たわっている千歳は、溜息を吐きながら天井を見上げ、明かりと自分の顔の間に、右手をかざしてみた。
「殴った手が痛いって、本当だったんだ」
本やテレビの情報では知っていても、初めて経験すること。虎臣の頬を叩いた自分の手はあまりに痛くて、腫れていないのが不思議なくらい。
叩いた自分でさえ、こんなに痛いのだ。
叩かれた虎臣の方は、どんなに痛かっただろう。
「叩いたり、しなきゃ良かった…」
それがひとつ目の後悔。
子供に力で言うことを聞かせるなんて、最低だ。しかも頭に血が上った状態で叩いてしまったなら、それはしつけじゃなく暴力だろう。
「虎くんと、もっとちゃんと話していれば良かった…」
ふたつ目の後悔。
南国荘(ナンゴクソウ)へ来てからというもの、千歳は新しい編集部と、蓮のことに頭が一杯で、母親と離れた虎臣をちゃんと気遣えていなかった。榕子(ヨウコ)に指摘されたときは、わかっているつもりだったのに。
「…僕なんかが、虎くんの父親になっちゃいけなかったのかな…」
みっつ目の後悔が、一番重い。
理子(リコ)も何度か虎臣を叩いていたことがあった。でもそれは、彼に対する理子の教育だったのだ。
いつも後で、苦しんでいた理子。
叩いた手をじっと見つめ、千歳に寄りかかって葛藤していた。
本当に叩いても良かったのか。
叩いた理由を、虎臣はわかってくれただろうか。
他に方法があったかもしれない。理子はいつも一人で悩んでいた。
子供を叩くという行為は、それほど重いものなのだ。ちゃんと子供と向き合っている親にだけ許される行為。
では何と言えば良かったのだろう。
小さな嘘で、たくさんの人に迷惑をかけた少年に。事の重大さを理解していなかった彼に対して。
叱るという行為は、難しい。
でも甘やかしているだけでは、子供を育てることなんかできない。
幼い頃から虎臣のそばにいて、千歳は千歳なりに考えてきたつもりだったけど。