■ストーリープロット:第一稿■
千歳は驚いてその場を見上げた。
遠く記憶にかすんで、しかし忘れられなかった屋敷。
門の前で逃げたい気持ちを抱えたまま、立ち竦む。
急な移動先の編集長から、いきなり押し付けられた仕事。行き先をよく確認もせず、渡されたまま住所のメモを、タクシー運転手に渡してしまったことを後悔するが、もう遅かった。
車に中で最後に見た企画書に刻まれた名前は「Ren」…忘れたくても忘れられない、高校の同級生。車を降りると、葛蓮が目の前に立っていた。
向こうも少し驚いた様子で千歳を見ていたが、とくに何か言うこともなく「久しぶりだな」と呟いただけ。
とにかく仕事の話をしようと、蓮に促されて屋敷に入る。その途端、楽しげな声が方々から聞こえてきた。
ヒトにしてはあまりに小さな声。
思い出す。前もそうだった。
しかし自分はもう大人なのだから大丈夫、と何とか自分を奮い立たせ、蓮の後ろをついて歩く。
たくさんの小さな声が「らじゃさま」と、同じ言葉を口にし始めた。
―――らじゃさま?
気にしないでおこうと思いながらも、耳に入る言葉に気を取られていると、やけにはっきりした声が頭の上から聞こえてきた。
『おや、君とは確か、前にも会ったことがあるね』
顔を上げると、豪華な衣装を身に着けた男が、逆さまに千歳の前へ現れた。
にっこり微笑んだ男。宙に浮いたまま自分を見つめる姿に、千歳は悲鳴を上げて逃げ出してしまう。
その日の夜。
ベッドの上で小さくなる千歳の話を聞いて、笑う女性。
「笑うことないじゃないか…」
「ごめんごめん。でもなんだか、その時の様子が目に見えるみたいで」
謝りはするものの、笑いを収める様子のない彼女は、千歳の妻の理子。
よき理解者であり、大親友ともいえる理子は、千歳の話を聞いて「蓮との再会を喜ぶべきだ」「まだ忘れてないんでしょ」と話す。
二人の会話で、結婚の経緯を確認。
翌日、屋敷には行けそうもないので千歳は蓮を呼び出した。
前日のことを詫びる千歳。蓮はわかっているから、と千歳を許してくれた。
その変わらない様子に、千歳は高校時代のことを思い出し、自分がまだ蓮を忘れられないでいると自覚する。
大学が別れてしまうと知っていた、高校の卒業式。
千歳は蓮の背中に「ずっと一緒にいたい」と囁いた。
蓮は振り向かず「お前がそんなことを言うとは思わなかった」と答え、非難されたのだと思った千歳は、その場を逃げ出したのだ。
(蓮は「<引っ込み思案でおとなしい>お前が<恋心を告げるために自分から>そんなことを言うとは思わなかった<俺ですら振られるのが怖くて言えなかったのに>」と言いたかったのだが、伝わっていない)
卒業式のことには触れず、仕事の話をしながら近況を尋ねた千歳は、蓮が今も一人でいることを知る。ちょっとドキドキだったのだが、去り際に蓮は
「お前は結婚したんだろ?…知ってるよ」
と呟いていた。
蓮が一人だと知った理子が、自分のことのようにはしゃいでいる。
「チャンスじゃない」「今度こそ逃がしちゃだめよ」そう話すのだが、千歳はすでに諦め顔。理子は離婚しても構わないと言うが、千歳は首を振る。
虎臣も加えて、東家の日常。
息子は二人が友人関係の夫婦だと知っているので、理子は虎臣の前でも蓮と千歳の再会を喜ぶが、当然、虎臣は面白くない。
「ずっとボクのお父さんでいてくれるよね?」と可愛く千歳に念を押す。
蓮との仕事が始まった。
慣れない旅行雑誌の仕事に千歳が戸惑うたび、蓮は自然な様子でフォローを入れてくれる。
また初めてマトモに引き受けた文章を書く仕事に、蓮が行き詰るたび千歳は協力することができた。
助け合って一緒に仕事をする、というこの上ない喜びに千歳は毎日楽しそう。
第一回として「東京」の記事が掲載された。このままいろんな場所を、蓮と二人で取材し、連載していくのだ。
最初は国内、評判が良ければ海外も視野に入れようと編集長に言われて、千歳は有頂天。
発売されたばかりの雑誌を手に家へ帰ると、理子も虎臣もそれぞれ自分で雑誌を買っていて、東家の人々は笑いあう。
そんな暖かな団欒の中、いきなり理子は「このマンションを処分したい」と言い出した。
今の恋人が、海外進出を望んでいる。結婚はまだ先だが、自分も一緒に行きたいと理子は言うのだ。
応援したい気持ちはあるが、驚いて何も言えない千歳と違い、日本に残っていいと言われた虎臣は、これから始まる千歳と二人の生活を喜んでいる。
「トラのこと頼んでいいよね?」
「それはもちろん、構わないけど…このマンションがなくなったら、僕たちはどこへ住んだら…」
「さあ?」
「さあって、理子さん」
「ん〜…ごめん、忙しくて時間がないの。葛くんにでも相談したら?」
えええ。そんな、でも。
迷うがしかし、ろくに親しい友人もいない千歳では、確かに相談相手など蓮しかいないのだ。
一難去ってまた一難…。
身の振り方をどうしようかと困り果てている千歳に、蓮は葛邸に住まないかと持ちかける。蓮への想いと、見えざるものへの恐怖で、最初は断ろうとする千歳だったが、他にどうすることも出来ないので、一時避難として葛邸へ移ることを了承した。
虎臣と一緒に訪れた葛邸。
相変わらず目に見えないものたちの声は聞こえるし、姿も見えるしで、軽くパニック状態の千歳。そんな千歳を、理由のわからない虎臣は怪訝そうに見ている。
やっぱり自分だけにしか見えないのかと、余計に追い詰められていく千歳を、自分は見えなくても事情のわかっている蓮が、優しく支えてくれる。
恐怖も手伝って思わず蓮に縋ってしまう千歳を見た虎臣は、蓮を敵視するように。
きっと軽く流してしまうだろうという千歳の予想を裏切って、なぜか蓮も虎臣を警戒しているようだ。
最初に会ったのは伶志と雷馳。
面識があったので、気軽に挨拶を交わしていると、そこへ榕子が現れた。
千歳の入居を喜ぶ榕子のそばに、ラジャの姿。驚きと恐怖に固まる千歳を見て、ラジャが見えるのだと知った榕子は、わざわざラジャを紹介してくれる。思いもかけず会話が成立して、千歳は卒倒寸前。
「俺には見えないが」
と前置きしつつも、榕子の様子にラジャの存在にあたりをつけ、蓮は千歳の肩を抱いたままラジャを見据える。
「こいつをこれ以上怖がらせたら、俺もここを出て行くぞ」
「そんな、蓮ちゃんひどいっ」
『怖がらせるも何も、ワタシは何もしていないんだが』
「ねえ、そうよねラジャ。怖くないのよ千歳ちゃん…ラジャは優しいし、ここにいる子達だってちょっとイタズラ好きだけど、いい子たちなの。あまり怖がらないでいてあげて?」
「千歳が努力するより、そっちが気をつけるべきだろ」
「も、もういいよ葛…僕なら平気だから」
仲のいい親子にこれ以上争って欲しくない千歳は、大丈夫だと繰り返してしまう。
そこへ、伶志と雷馳が口を挟んだ。
「そう言えばさ、ラジャはともかく千歳さん。ここにいるのは全員、葛なんだよね」
「そうそう。蓮さんを葛って呼んだら、全員振り返っちゃうよ」
「え!…で、でも僕、ずっと葛のことは葛って呼んでるし…」
うろたえるが、その場にいる虎臣以外の全員に促され、おろおろしながら千歳は「蓮?」と呼びかけてみる。
珍しくも嬉しそうな蓮と、名前を口にしただけで真っ赤になってしまった千歳を見て、その場にいる者はラジャまでも、二人に気持ちに気付いた。