甘く接吻けて【特集】前編 P:05


 ぎりっと、痛いくらいの冷たさで睨みつけてきた少年。炯の方こそ焦って、目をぱちぱちさせてしまう。
 ――睨まれた?なんで?
 自分が美少年だなんて、自惚れてはいなかったけど。まさか理由もなく、初対面の相手に睨まれるとは、思っていなくて。
 一瞬のことだが、炯は周囲から音がなくなってしまったようにさえ感じた。世界から自分を睨む少年と、固まってしまった自分以外の全てが消えたような一瞬。
「炯!炯ちゃん、ごめんね!待って待って!」
「あ…ああ、母さん…」
 呼び声に振り返った炯は、慌てて高沢と呼ばれていた少年に視線を戻したけど。彼は何事もなかったかのように、校舎へ入っていくところ。
 炯はため息をつき、駆け寄ってくる母親に笑いかけた。
「そんな、慌てなくてもいいよ。どうせ母さんは先に体育館へ行かなきゃいけないんでしょ?」
「あ、そっか。でも何組か見とかなきゃいけないし。ごめんね〜夢中になっちゃって」
「大丈夫。慣れてますから」
「あう…いつもいつも、ご面倒かけます」
「いえいえ〜かけられてます〜」
 照れて笑う母親に「いい絵が撮れた?」と聞きながら歩き出した炯は、人ごみにもう一度きつい目をした少年を探してみる。まあ、いま見つけられなくても。同じ中学なのだから、これからいくらでもチャンスがあるだろうけど。
「何組かもう見た?…って、炯ちゃんどうしたの」
「何が?…なんか、変?」
「そうじゃなくて、う〜んと…なんか、嬉しそう?あれ、楽しそう、かな?」
 上手く表現できない、と言葉を探す母親に言われ、炯は少しだけ目を見開いた。見てわかるくらい、今の自分はわくわくしてしまっているのだろうか。
 くす、と。小さく笑う。
「炯ちゃん?」
「うん。見つけたから」
「何を?」
「面白そうなこと!」
 明るく言って、視線を上げる。「タカザワ」という名前を探していた炯はひとつのクラスに彼の名を見つけ、適当にその辺の生徒の制服を引っ張った。
「え、ええっ?」
「ねえ、これ。高沢くんって名前なんて読むの?」
 顔を真っ赤にさせている少年に笑いかける。彼は慌てふためきながら指差すところを見て、ああ、とわずかに眉を顰めた。
「アサキだろ、タカザワアサキ…」
「ふうん…高沢旭希かあ…」
「炯ちゃん…自分のクラスは見なくていいの?」
 母親に話しかけられて、炯はそうだったと視線をめぐらせる。くすくす笑っている母親。そっと振り返ると、彼女は息子と同じくらい楽しげに、クラス表を見ていた。
「母さん?」
「見つけたの?面白そうなこと。高沢くん?」
 小さく囁かれてしまう。炯は同じようにくすくす笑って、まあねと返事を返しながら、隣のクラスに自分の名前を見つけていた。

 言葉も交わさなかった二人の入学式。
 記憶に刻まれた「高沢旭希」という名前は、長く炯の心にとどまり続けることになる。もちろん、その時の炯に自覚はなかったけど。
 
 
 
 
 
 入学式を終えても、すぐに授業が始まるわけじゃない。まだ小学生気分の抜けない生徒たちを、早く新しい環境に馴染ませる為、学校はあらゆるスケジュールを組んでくる。生徒たちの方も、振り分けられたクラスで新しい友人を作り、初めての本格的なクラブ活動に興味津々で過ごす一ヶ月。炯は瞬く間に友人の輪を広げていた。
 いやもう、炯が何をしなくても、相手は向こうから積極的に近づいてくるのだ。受け入れてやるだけでいいなら、これほど楽なことはない。
 常に誰に対してでも平等な炯。幼い友人たちは「優しい」と評価してくれるが、その実、炯は「広く浅いお付き合い」を実践しているだけなのだ。誰かに強く縛られることは、本意じゃない。だから誰でも同じだというのは、誰でもいいということ。
 その炯が、自分から話しかける同級生は、今のところ一人だけだ。
「で、高沢くんは?どうだった?ゴールデンウィーク」
 連休明けの今日も、炯はせっせと隣のクラスまで足を運んで、返ってこない答えをにこにこと待っている。迷惑そうな表情でちらりと炯を見上げ、ふいっと窓の外へ視線を投げてしまう旭希は何も言わない。
 窓際、一番後ろの席に近づくのは、もはや炯一人だ。遠巻きに見つめているこのクラスの生徒も、炯を追ってきていたクラスメイトも、近寄ることが出来ずに顔を見合わせている。炯には話しかけたいが、旭希が怖い。そんな微妙な空気。
 確かに旭希は入学式で囁かれていた、周囲の「怖そう」という言葉を裏切らず、いつも無口で無表情だった。