甘く接吻けて【特集】前編 P:06


 初めての実力テストを終えた時、炯は旭希が自分と同じように、上から数えても両手の指を折る必要がない成績の持ち主だと知った。そんな頭の良さも、旭希が倦厭される理由になっているかもしれない。
 友人を作ること
も、クラスに馴染む努力も放棄して、旭希はいつも一人、自分の席に座っている。そんな旭希の元へ、わざわざ隣のクラスから足を運び、声をかける物好きは炯だけだ。
「僕さあ、そろそろ高沢くんの声、忘れちゃいそうなんだけど。先生に呼ばれて君が返事したのを聞いたとき以来だよ?いい加減、何か言う気にならない?」
「…………」
「向こう行けよ〜とか、鬱陶しいんだよ〜とかさ。それとも何か、その窓の向こうに面白いものでもあるの?
 校庭があるだけだよね?と話し掛けながら、炯は旭希の机に手をついて、身体を伸ばし窓の向こうを覗き込んだ。まるで寄りかかるほど近くなった距離に、旭希がガタンと椅子の音をさせて立ち上がる。
「高沢くん?」
「…………」
 苛立った顔。それでも、炯はにこりと笑みを絶やさない。
 足早に席を離れ、教室を出て行く旭希の後姿を見つめながら、炯は肩を竦めていた。
「あ〜あ…逃げられちゃった」
「お前…シメられる前に、ヤメといた方がいいんじゃねえ?」
 そうっと近づいてきたのは、咄嗟のことじゃ名前も思い出せない、炯を追ってこちらの教室まで出向いて来ていたクラスメイト。炯は明確な答えを出さず、曖昧に笑ってみせる。
「そうかなあ」
「だってよ、ヤバいじゃん。あいつの親ってヤクザなんだろ」
「いつも怒ってるしさあ」
 わらわら近寄ってくる友人たちに、チャイムが鳴るから教室に帰ろうよ、と促した炯は廊下で休み時間が終わるのを待っていた旭希を見つけ、手を振ってみた。しかし旭希が振り返してくるわけもなく、いつもの無表情で入れ替わりに教室へ入って行く。

 ――そんな邪険にしなくてもいいと思うんだけどな〜

 炯は
一度も、旭希を「怖い」と思ったことがない。怖いとか、おっかないとかじゃくて……なんだか、誰にも懐かない野良わんこ、という感覚が一番近かった。散歩の途中で見つけた、一匹だけで静かにしている野良わんこ。
 手を出してしまうのは、あまりにも懐いてくれないから。懐かない態度が面白いと思っているだけの、物好きで勝手な行動。噛まれる寸前まで手を出してしまう、犬好きの心境というのが、今の炯を一番よく表わしているかもしれない。
 頭を撫でさせてくれればそれで満足。
 そう、連れて帰って飼いたいとまでは、思っていないのだ。

 こんなに執拗なアプローチをかけているくせに、炯の方はけして旭希と特別親しくなりたいと思っているわけじゃなかった。面倒な人間関係は煩わしい。それは相手が誰であっても同じこと。旭希が特別だというわけじゃない。
 振り返ってくれるならそこまででいいのだ。あとはその他大勢の友人と、同じになってくれればいいと思っている。
 興味本位の炯を知っての態度ではないはずだが、旭希はとにかく冷たかった。炯が何を言っても、どんなに話しかけても、返事なんか返ってきたためしがない。
 あまりに冷たいから、余計に面白がって炯が構う。構えば構うほど、旭希は態度を硬化させていく。
 炯の「広く浅い
お付き合い」は思惑通り、炯の努力もなくどんどん広がっていくのに、旭希だけがどうしても懐いてこないから。
 炯の中学生活は、スタートの期待を裏切らず、面白い毎日が続いている。
 
 
 
 衣替えが終わる頃になると、一年生という学年全体が、まさに炯を中心として回り始めていた。
 どうにも炯と友人になる、というのがひとつのステイタスになっているらしく、誰も彼も炯と親しくなりたがる。
 同じ小学校の出身だ、というだけで大きな顔をしてみたり。女子の中ではファンクラブめいたものまで出来ていたりして。中学校という小さな世界で暮らしている彼らにとって、テレビの中のアイドルなんかより、炯の方がずっと身近で興味を引く対象なのだろう。
 しかし、どんなに周囲が騒いでも、炯自身は相変わらず。自分から構うのは旭希だけで、他は誰でも同じこと。それは先輩であっても同じだった。
 わざわざ一年生の校舎まで炯を見に来る先輩たちは、なんとか自分のクラブへ炯を引き込もうとするけど。炯はなんだかんだと適当な理由に笑顔を添えて、断り続けている。

「まあ、面倒だから〜なんて正直に言うよりは、当たり障りがないよな」
 かけられた声に思わずぎくっとして、放課後の教室、炯が振り返る。廊下側の窓から教室を覗き込み、ひらひら手を振っている人物にため息を吐いた。