「そうだってね」
「そうだってね、ってお前な」
「?…だって、今は生徒会の話だし」
話が噛み合わない。
旭希からこの言葉を聞かされると、大概の相手は同じ反応を返してきた。好奇心に満ちた顔になるか、嫌そうに線を引きたがるか。どちらかしかないのに。……どうにも炯は、まだ旭希の言葉が理解できていない様子。
「同じ学校から上がってきた奴は、みんな知ってる」
「うん。僕も高沢くんと同じ小学校から入った子に聞いたよ」
「…何が目的でオレに近づくのか、知らないけどな。いい加減にしておけよ」
この睨み付ける視線の鋭さ。もしかしたら、会ったこともない旭希の父親に似ているのかなあと。炯はあまり関係のないことを考えていた。
旭希が眉を寄せると、その目尻はすうっと切れ上がっていく。真っ黒な旭希の瞳に宿った光が強さを増して、きれいな輝きになっていた。今はまだ幼さの残る輪郭だけど。あと何年かして、大人っぽくシャープな顔になったら、きっと一条なんかよりカッコ良くなるだろう。
じっと見つめてくる炯の視線に、恫喝した旭希の方が焦ってしまう。自分の話を、理解しているのか、いないのか。まさかヤクザという言葉を知らないなんてことはないと思うのだが。
訝しむ様子の旭希をまっすぐ見つめていた炯は、きゅっと唇を尖らせ、拗ねた表情になった。
「目的って言われても」
「なんだよ」
「だってさ、僕だって一人で上級生だらけの生徒会室にいるの、嫌なんだよ?でも一条先輩、諦めてくれないんだもん。ちょっと助けてくれるぐらいは、いいんじゃない?」
炯はまるで見当違いなことを言い出した。旭希がむっとして、声を荒げる。
「そうじゃないだろっ!生徒会云々じゃなくて…お前、生徒にも教師にも気に入られてんじゃねえか!オレなんかと一緒にいると、お前のことまで悪く言うヤツが出てくるぞ!」
だからもう、自分には近づくなと言おうとしていた旭希に、炯は言っている意味がわからないと言いそうな顔で、いっそう首を傾げる。
「僕が悪く言われると、高沢くんは何か困るの?」
「困るのって……」
「困らないよね?僕も別に、困らないし」
「お前……」
「困るって言えば、一人で生徒会に入らなきゃいけない方が困るんだよ」
ほんとに、と。
ため息まで吐いている炯。
……まさか、そんなことを言い出す奴が現れるとは思っていなかったのだろう。驚きに開きかけていた口を閉じ、旭希はまじまじと炯を見つめていた。
あの子には近づいちゃダメよ、と。
旭希の素性を知れば、大概の大人たちは自分の子供に、周囲の人々に、同じことを言う。今までの友人たちも、そんな大人たちの言葉に従い、あからさまに旭希を避けた。誰も近づかないなら、いっそ一人でいいんだと決め込んでいた。ヤクザなんかと関わり合いになりたくない気持ちはよくわかる。旭希だって、自分のことでなければ同じだったはずだ。
なのに父親がヤクザだという事実を、まさかこんなにあっさり受け入れてしまえる人間がいるなんて。
桜の舞い散る中できれいな笑みを浮かべていた炯が今、同じように笑って旭希の前にいる。要求を受け入れてもらえるものだと信じて、お願い、と笑う。
旭希はふいっと視線をそらせ、踵を返した。教室とは、反対方向だけど。ここを逃げ出せるなら、もう遠回りでも構わない。
「高沢くん?」
「オレは無理だ」
「え〜?!」
「他をあたれ」
他の、もっと炯にふさわしい人を。
自分の苛立つ理由を理解できず、旭希は足早に炯から離れて行く。一人廊下に残された炯はぼんやり立ち竦んだまま、扉が開いたままの音楽室に目をやった。
黒板の前に、大きなグランドピアノ。あれを弾いていたんだなあと、それが妙に感慨深くて置いて行かれたことも気にならない。
初対面で自分を睨みつけたのも、炯が本気でお願いして断ったのも、旭希が初めてだ。その上彼は、あんなにも優しい旋律を奏でることの出来る人物。ついでに「お前が悪く言われる」と、炯の心配までしていた。
「……面白すぎでしょ、高沢くん」
くすくす笑って。明日からはどうやって構ってやろうかと。
生徒会のことなんかすっかりどうでも良くなっている炯は、ゆっくりした歩調で鞄を取りに歩き出していた。
二人を目で追う生徒たちは、半ば唖然としている。ついこの間までは、誰が見ても炯が追いかけるだけの関係だったのに。一体、何があったのだろう?