甘く接吻けて【特集】後編 P:03


「だから、なんでそんなに頑ななの君は」
「…………」
「聞かせるくらい、いいんじゃない?おとなしくしてるから」
「嫌だ」
「じゃあ代わりに生徒会。一緒にやって?」
「断る」
「だったら聞かせてって」
「だったらってなんだよ」
「ひとつくらいは僕のお願い、聞いてくれてもいいじゃないか〜」
「うるさい」
「頑固だな〜。生徒会のこと諦めるから、もう一回だけ聞かせてよ」
「…しつこいぞ、お前」
 うんざりした顔の旭希と、なにやら異様に楽しそうな炯。一見すると二人は相変わらずのようなのだが、今までと決定的に違ことがある。旭希が炯の言葉に答えているということだ。
 必要以上のことは話さず、無口な態度は変わらないのに。旭希は炯の言葉をちゃんと聞いているらしくて、そっぽを向きながらも答えを返してやっている。今までは炯の存在など、まるで無視していたのに。
「もう一度だけでいいんだって。ね?」
「…どうせ一度じゃ済まないんだろ」
「あれ?なんでバレたの」
「…………」
「聞きたいんだよ〜高沢く〜ん」
「い・や・だ」
 ……聞きたいって、何を?
 とは、どうにも割って入って行けない、二人の雰囲気。
 遠巻きに見ている生徒たちは、いつも以上に近寄りがたく二人を眺めていた。
 旭希が怖いということもある。しかしそれより、こんなにも心底、嬉しそうな顔で話している炯を見るのは、初めてだったから。今の炯は、他の生徒たちを視界にすら入れてくれそうにない。

 炯が偶然、旭希の弾くピアノを耳にしたのはもう一週間も前のことだ。
 翌日から炯は、ずーっと旭希に「もう一度ピアノを弾いて聞かせて欲しい」と訴え続けている。
 単に旭希とピアノという、ちょっと想像のつかない取り合わせを見てみたい好奇心が半分。後の半分は、あの音を聞いて泣きたくなった自分のことを、確かめてみたかったから。
 ピアノなんか誰が弾いたって同じだと思っていたのに。旭希が弾いていた音が、テレビやCDと違って聞こえたのは、どうしてなんだろう?と思って。
 まあ、どんなに頼んでも旭希がつれないので、面白がった炯は「ピアノを聞かせるか、生徒会入りに付き合うか」の、全く関係のない二択を旭希に迫っている毎日だ。

 ただ旭希がピアノのことを隠したがっているのに気づいているから、炯は人前で一度もその単語を口にしない。
 誰にだって知られたくないことの一つや二つあるだろう。中学生という、子供であってもだ。もちろん、炯にもある。去年知ったばかりの、自分の出生にまつわる話。まだ対峙出来ないでいる重たい事実を、炯は自分の中の堅牢な箱に詰め込み、鍵をかけて深く深く沈めている。
 旭希に求めるのは、意外性と飽きない楽しさ。彼を傷つける気もないし、他人の秘密を吹聴して回る趣味もない。重みのある事実は、炯の楽しみを半減させるだけだ。炯はそんなものに、興味などなかった。

 随分身勝手な理由かもしれないが、結果が同じならそれでいいはず。
 炯から一度もピアノの三文字を聞かない現状で、旭希が何を考えたかなんて炯にもわからないけど。もしかしたら、気遣いとでも判断したんだろうか?そのせいで旭希が少しずつでも言葉を返してくれているのなら、炯にとってラッキーな勘違いだった。
 ――でも、まだ足りないんだよね。
 まだまだ。こんなものじゃ、炯が野良わんこを懐かせたことにはならない。
「あ、そーだ。高沢くん今日の放課後って暇?」
「ヒマじゃない」
「僕、一条先輩に生徒会室呼ばれてるんだけど。試しに一度行ってみない?」
「ヒマじゃないって言ってる」
「生徒会室に付き合うのがイヤだったら、こないだの放課後に鉢合わせしたところでもいいんだけど」
「何度も言わせんな」
「む〜…。じゃあ僕一人で生徒会室行くの?それって可哀想だとか思わない?」
「思わない」
「だったらさ、一人で放課後頑張るから、終わるまでこの間と同じ場所で、同じことして待っててくれるっていうのは?」
「なんでオレがお前待つんだよ」
「だって…どっちかだけでも、僕のお願い聞いて欲しいんだもん。どっちがいい?」
 ピアノを自分に聞かせるか、生徒会に入るか。どちらか選べと詰め寄ってはいるが、炯はの心の中では本当のところ、すでに生徒会のことが「ついで」になっている。
「どっちも却下」