にべもない旭希の返答が下ったところで、チャイムの音が鳴り響いた。昼休みは終了だ。残念、と呟いて立ち上がった炯は、相変わらずにこやかに手を振って去って行く。思わず炯の姿が消えてしまうまで見送ってしまった自分に驚いて、旭希は奥歯を噛み締めていた。
最初は旭希の隣に立ちっぱなしで話しかけていた炯が、今ではクラスメイトが座っていないのをいいことに、旭希の前の席に座って話しかけている。ずっと近くなった二人の距離を見過ごせないでいるのは、クラスメイトも旭希自身も同じこと。
窓越しのグラウンドに、体育の授業が始まった上級生を見つめながら、旭希は不機嫌な表情で眉を寄せていた。
放課後、生徒会室に一人で向かう炯は、今日も旭希に断られたというのに、たいして気にしていなかった。最初からあんな誘い方で、旭希が乗ってくるとは思っていない。あれくらいで旭希が折れるなら、この数ヶ月の間でとっくに懐かせることが出来ていただろう。
――まあ、全然期待しなかったわけじゃないけどね。
しなかったわけじゃないけど、それでこそ旭希。と思っているのも事実だから。
「こんにちは〜」
がらりとドアを開けてみる。中で待っていた一条は、会議用の長い机に座って、相変わらず読めない笑顔を浮かべ「いらしゃい」と炯を迎えてくれた。
「あれ?誰もいないんですか?」
「ああ。今日は別に、仕事があるわけじゃないんだよ」
「なんだ…じゃあ帰っても?」
きゅっと、可愛く小首をかしげて聞いてくる炯に、一条は苦笑いを浮かべる。
「帰っていいなら、最初から呼び出さないだろ」
「まあそうですけど」
「そんなところに突っ立ってないで、こっちおいで」
おいでおいで、と手招きされて。なんの疑いもなく、炯は一条のそばへ近寄った。
そこ、鞄置いて。と言われた通りに、空いた机へ手にしていた鞄を置く。そのままとことこと一条の傍らに立った炯は手を引かれ、息が触れそうな位置まで引き寄せられた。
「……先輩?」
「ふうん……」
「なんですか?」
「でっかい目だなあ。こぼれない?」
「こぼれるわけないでしょ!何言ってんですかっ」
むっとして離れようとした炯だったが、頬の辺りに触れていた、一条の無遠慮な手が離れない。
スキンシップの激しい両親の元で育ったから、こうして人に触られることには慣れていたし、とくに警戒はしなかったけど。長く入院していた病院の、馴染みの深い医者やナースたちならともかく、数ヶ月前に会ったばかりのただの先輩に顔を撫でられるなんて、思えばおかしな状況だ。
「先輩?」
「炯くんさ、いっつも線引いてるよな」
「何のことですか?」
「にこにこ笑って従順なフリしてるけど、結構ワガママで適当だってこと」
「…………」
すうっと一条の視線から笑みが消えた。探るような鋭い光に、身をよじった炯はいつの間にか自分の身体が、拘束されていることを知る。
机に座っている一条は、炯よりもずっと身体が大きい。まるで、大人のように。
「せん、ぱい…あの、離してもらえないですか?」
「嫌だね」
「でも、近いですって。先輩っ」
「そういう仮面、剥がしたらどんな顔すんのか。ずっと気になってたんだよ」
ぐっと強い力で引き寄せられ、手早く制服のボタンを外された炯は、机の上に押し倒されてさあっと青ざめる。こうなってやっと、人気のない生徒会室に炯を誘い出した一条の目的に気づいた。
「先輩、先輩っ!」
「どうしたの。そんな慌てて?」
「僕、男ですってば!」
「わかってるよ」
「わかってるって、そんな」
「いいから。ちょっとだけじっとしてな?」
にこりと笑みを浮かべられたって、さすがにこういう体勢では、黙っているわけにもいかないだろう。何かを言わなければと思うのに、ひくっと喉が鳴って声が出ない。混乱した炯には、身体を震わせていることしか出来そうになかった。
乱した制服の中、差し入れられた一条の手がぺたりと肌に触れたとき。ざわりと粟立った嫌悪感に、張り付いたようになっていた炯の喉がやっと、悲鳴のような声を迸らせる。
「やめてくださいっっ!」
その瞬間、がらっと乱暴に生徒会室のドアが開いた。
「何してるッ!」
叩きつけるような声を放ったのは、ここへ来るはずのない旭希。
――え…高沢くんだ…