甘く接吻けて【特集】後編 P:05


 ものすごい勢いで炯のそばへ駆け寄り、一条を引き剥がした旭希が、そのまま生徒会長を殴りつけた。咄嗟のことに反応し切れなかった一条は、殴られた勢いで床に転がっている。
 ――うわ、痛そう…
 炯を庇ってくれている、旭希の背中。自分と大差ない身長だと思っていたが、こうしていると彼の方が大きいように感じる。
 でも、どうして旭希がここへ?

 ――てゆーか……なにも殴らなくったって。

 まるで危機感のないことを考えながら、炯は旭希の背中越しに一条を見た。痛そうな頬を撫でている彼と、目が合う。
 驚いた表情で旭希を見つめ、炯と目を合わせて。可笑しげに肩を竦めた一条は、苦笑いを浮かべてため息をついた。
「…なんてゆーか、こんな番犬つきなんだったら、先に言っておいてくれないと」
「…番犬、ですか?」
 やれやれと立ち上がった一条に、炯はなにか考えるような表情を浮かべているけど。放つ言葉はまるで見当違い。
「そういう、怖い系のわんこじゃないと思うなあ…」
 野良だとは思うけど、旭希は番犬というほど怖いイメージじゃない。人の手に慣れていないだけで、構われてもどうしていいかわからず、毛を逆立てるだけ。
 ね?と。同意を求めるように、振り返った旭希の顔を見つめている。それにしても、自分以外でも旭希を犬認識する人がいるんだなあと思って。炯はくすくす笑い出す。
 自分が襲われかけたというのに、全然気にしていない様子の炯に、旭希どころか一条までもが呆れた表情になった。
「…全然気にされないってのも、男として悲しいものがあるな」
「?…じゃあ気にした方がいいですか?」
 一条の呟きに、炯は本気で不思議がっている。
「…まあ、この際どっちでもいいけどさ」
 怖がられて当然だと思うのだが、そうやって笑っていられるなら、ありがたい話なのだし。
 制服についた汚れを払う一条は、睨みつける旭希に気づき、へらりと笑って「そんな睨むなよ」と。からかうかのように、手をひらひらさせて見せた。
「心配すんなって、俺には本命がいるから。こんな面倒なのに、もう手ぇ出さねえし」
「あんた…他に言うことはないのかよ」
 どうだろう、この恐ろしいほどの怒りに満ちた、暗い目。血は争えないんだな、と。旭希の素性を知っているだけに、一条は肩を竦める。
「他に何言うんだ?」
「二階堂に謝らない気か?」
「いいよ高沢くん…ね?大丈夫だから」
 ついつい、と炯に袖を引かれ、旭希は渋々口を閉じた。さっきまで火がついたようだった旭希が、炯の言葉で一瞬のうちに冷静になったのを見て、一条はへえ、と眉を上げる。
 あまり親しくはない、と炯は言っていたけど。もしかしたらこの二人、面白いことになるんじゃないかと思ったのだ。
「なあ炯くん。これっくらいで生徒会の話、反故にしたりしないよな?」
 さっきまでしていたことなど、もう忘れたとでも言い出しそうな一条の人を食った表情。炯は乗っかっていた机を降り、旭希の隣に並んで一条を見上げる。
「相当しつこいですね、先輩」
 この件を言いふらされるとか、心配したりしないんだろうか?
 ……まあ、こんな自分にとっても不名誉なことを、炯が言って回るはずもないのだが。
「大丈夫大丈夫、番犬くんに手ぇ噛まれるようなこと、もうしないから」
「…絶対ですよ?」
「了解」
「二度とイヤですからねっ!」
「わかったって。だから、な?」
 面白がって噛まれるまで手を出す性格は、炯と似ているのかもしれない。にやりと笑った一条は、炯の答えを待たずに背を向けた。
「帰りはカギかけといて」
 机に鍵を置いて、鞄を手に取る。
「かけたら職員室ですか?」
「いやいや、それは俺の私物だから。明日返してくれればいいよ。炯くん、俺の教室って知ってる?」
「あんたな!」
「知ってますけど」
「お前も!簡単に返事してんじゃねえよ!」
 苛立つ旭希の言うことがわからずに、炯は驚いた顔で「なんで僕が怒鳴られるの?」などと呟いている。足を止めた一条は、声を立てて笑い出した。
「ははは!…っとに。面白いなあ、お前ら。そんなに心配だったら、高沢。お前がついてきてやればいいだろ」
「なんで俺が!」
「心配してくれるんだ?」
 嬉しそうな炯に間近で見つめられ、旭希はぐっと黙ってしまう。