二人をにやにや見つめていた一条は、じろっと旭希に睨まれ、笑いながら両手を上げる。降参の意思を示したことを炯には知られないよう、すぐに踵を返した。
「じゃあカギよろしく」
いつもと変わらぬ飄々とした足取りで生徒会室を出て行く一条を、旭希は視線を鋭くしたまま見送った。
眉間にしわを寄せて一条の出て行った方を睨んでいた旭希は、炯に向き直った途端、はだけた制服を整えている姿が目に入り、思わず身体ごと視線を逸らせた。
「びっくりしたな〜」
どこかあっけらかんとした炯の声に、旭希が振り返る。
「…大丈夫なのかよ」
「ん?うん平気。それにしても、びっくり。高沢くんが来てくれるとは思わなかった」
「…………」
びっくりした、は、そこなのかと。いい加減、炯との噛み合わない会話に慣れてきた旭希は、呆れた表情になる。
「生徒会、入ってくれる気になった?あ、それともピアノ聞かせてくれる気になったとか。呼びに来てくれたんだったら、嬉しいけど」
まるで見当違いのことに驚き、喜んでいる炯。ため息をつきながら、旭希が「違う」と呟いた。
「お前があんまりしつこいから、一条に直接断り入れようと思っただけだ」
「え〜…。そうなの?がっかり」
本気で残念がる炯から、その足元に視線をずらせる。
床を見つめたまま「お前ももう辞めるんだろ、生徒会」と呟く旭希に、炯はきょとんとした声で「なんで?」と首を傾げた。
生徒会室のドアに手をかけたとき、中から聞こえた炯の叫びに、旭希は一瞬でかあっと血が上らせた。そのままの勢いでドアを開け、中で押し倒されている炯を見たら、殴りかかる自分を抑えられなかった。
他人の旭希でさえ、激昂したほどの事態なのに。当の炯が、こんなにあっさりしているなんて。旭希はじろりと炯を睨みつける。
「お前、今のもう忘れたのかよっ」
厳しく言うのに、炯の方はまるで意に介していない様子。何をそんなに怒るんだろうと、上目遣いに旭希を見ている。
「忘れてないけど。だって先輩、本命いるって言ってたじゃない」
「あいつの言うこと、信じるのか?」
「うん。一条先輩って、そういう嘘つかないと思うんだよね」
「お前な…」
さっきまで、押し倒されて悲鳴を上げていたくせに。
「それに先輩にこーいう趣味があるって、もうわかったんだから平気だよ。僕も気をつけるし」
大丈夫大丈夫、と。宥めるように言うから。旭希は苛立って顔を背けた。
「…バカだろ、お前っ」
「バカって…なんで君がそんな怒るんだよ??…あ。」
わけがわからないと、不思議そうな顔をする炯は、何かを思いついて、嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあさ、やっぱり高沢くんが生徒会に入ってくれればいいんじゃない?」
「はあ?!何でそーゆー話に…」
理解不能な話の展開に、旭希が振り返る。一歩自分に近づいた炯が、満面の笑みを浮かべているのを見て、思わず肩を揺らせていた。
炯とて、何も旭希が心配してくれていることを、わかっていないわけじゃない。ただ自分のことを邪険にし続けた旭希が、そんな風に気遣ってくれるとは思わなかったから。
だからこそ、チャンス!と。瞳を輝かせるのだ。
「だって僕一人だったら、また油断しちゃうかもしれないし?」
「それはお前の勝手だろ」
「さっきは心配してくれたじゃない。明日、一緒に一条先輩のところ、カギ返しに行ってくれるよね?」
「行くとは言ってないだろっ」
「…ダメなの?」
可愛い顔で首を傾げ、上目遣いにお願いする炯。こんな「おねだり」を、断れる人間がいるなら、会ってみたい。
大きな瞳がわずかに潤んでいるのを見て、途端に旭希はうろたえた。こうなってしまってはもう「炯も生徒会に入らない」という選択肢なんか、かけらも旭希の思考に浮かばなくなってしまう。
「ダメっていうか、だから…」
「いいよね?」
「良くねーよ…」
「ダメなの?」
お願い、お願い〜っと。縋る視線に、旭希の顔が少し赤くなった。きょとんと不思議そうな顔をした炯は、にっと笑って「お願いだから!」と畳み掛ける。
「じゃあまあ…カギは行ってもいいけど…」
「ありがと高沢くん!」
「…おう」
炯から見つめられ、こんな風に顔を赤くする人間は、他にもたくさんいる。