しかし全てのきっかけが二階堂という男にあるのだと思うと、ついつい嫌味の一つも言いたくなる。
私とそう歳の変わらない、二階堂炯。身長は高いがとにかく線の細い男。きれいな顔立ちに細いフレームの眼鏡をかけ、何がそんなに楽しいんだか、いつもにこにこと笑っている。
彼が主宰している劇団AZ(アズ)には、テレビで見かけるような役者も何人か所属していた。劇作家である二階堂自身にも、舞台はもちろんだがテレビドラマやCMなど、ひっきりなしに仕事が舞い込んでいるらしい。
確かに彼の作品には、定評がある。私も二階堂が手掛けたドラマを見ていたことがあるので、彼の才能を認めている。……三人の作家が交代で脚本を担当した深夜ドラマは、スタッフロールを見なくてもわかるくらい、ズバ抜けて二階堂の回だけが面白かった。
二階堂の本当の魅力は、眼鏡の奥に隠されたきれいな顔でも、しなやかな細身の身体でもない。クリアイターとしての才能、その才能を支える感性なのだろう。
ただ……二階堂の「魅力」はともかくとして。男をも篭絡するような「魔性」となると、私にはさっぱりわからない。どこにそんなものが秘められているのか……しかも、社長ほどの男を。
私が同性に興味を持たないせいなのかもしれないが、なにがそんなにイイんだか?不思議で仕方なかった。
社長としても一応、無茶を言っている自覚があったのだろう。
二階堂に頼まれたからそんなことを、この目が回るほど忙しい時期に言い出したのかと、詰め寄る私から目をそらし、彼はそ知らぬ顔で「頼まれてはいないな」と呟いていた。
そうして、しばらく黙っていたかと思うと、手にした紙面から目線だけを上げて、私を見る。
「…嫌なら、私が行っても構わないが?」
「冗談はやめてください。一時間後の会談はどうするんです」
その日、佐久間組長と社長の会談が行われるのは、一ヶ月以上前に決まっていたことだ。他の幹部も出席する会合を、社長が欠席することなど。出来るはずもない。
「そうだろう?だからお前に言っている」
「しかし…」
言いかけた私は、社長の瞳に浮かぶ楽しげな表情に気づいた。私が社長と組長の会談を優先し、手元の膨大な仕事を放り出さざるを得ないことなど。社長には既にお見通し、ということか。
私は手にした書類を見つめ、社長に視線を移して。もう一度書類に目を落とすと、そのまま視線を上げずに「社長」と呼びかけた。
「なんだ?」
「組長との会談を終えられましたら、真っ直ぐここへ戻っていただけるんでしょうね?」
自分の行動を制限されたり、命じたことに逆らわれたり。そういう反感を、社長がことのほか嫌っているのは知っている。たとえば去年くらいの私なら、こんなこと口が裂けても言わなかった。
今でも社長を知っている人間には「命知らずな」と囁かれる私の態度。しかしこの一年で、私と社長との間には、こんな応酬が許される関係が築かれたのだ。
まあ……この件に関しては、全て二階堂のおかげと言える。しかしそう思うからこそ、気に入らないのも事実。
社長が顔を上げた気配を感じて、私も紙面から顔を上げた。
幼い頃からずっとかけている、度の強い眼鏡の奥で笑みを浮かべ、意地悪く見つめる私に、社長はほんの少し目を泳がせるような表情を見せた。
「…ここへか?…まあ、そうだな」
「私が戻るまで、ここに居ていただけるんですよね?」
こんな断定的な言い方は本当に、文字通り首を飛ばされる覚悟の必要な行動だったし、以前の社長はなら確実にそうしていただろう。
しかし今の社長は、嫌そうな表情で眉を寄せただけ。
「ここに居ても、仕方ないんじゃないか?お前が戻るのは夜だろう?」
社長の顔は、まるで拗ねたコドモのよう。嫌だという言葉を口にはしないが、全力で嫌がっているのがバレバレ。
かつて社長は、自分に隙があることを許さない代わり、他者を誰も受け入れようとしない人だった。
彼は必ず自身が孤立無援であろうとする。社長にとっての他人は、誰であっても「使う」ものであり、依存する対象ではなかったのだ。
実際彼は、他人以上に自分に厳しい人なので、いつも己の居場所を確認し、不足を補う為にのみ、他人を「選別」し「使う」。私もかつて、そうしたコマの一つに過ぎなかった。
ずっとそのスタイルを崩さなかった社長は、自身にまるで必要ないはずの二階堂炯という要素を受け入れてしまったことで、少しずつ少しずつ、垣根を下げタガを緩ませて、最低限の人間には隙を見せざるを得なくなっている。その最低限の人間の中に、自分という存在が入っていたのは驚きと共に嬉しい展開だった。
私は出会った時から今まで、彼が唯一自分の仕える人間だと、疑ったことがない。