【初恋】 P:03


 確かに私自身の立場は佐久間組の構成員だが、私が仕えるのはあくまで鷹谷慎二であり、正直なところ組長に対する思い入れはなかった。……いや、もちろん組長には畏怖と敬意をもって、日々を送らせて頂いているが、私の中のトップはあくまで鷹谷慎二、ということなのだ。

 社長に初めて「頼む」と言われたときの感動を、私は一生忘れないだろう。
 内容は二階堂の服を用意しろ、という結構ナサケナイ類の「お願い」だったのだが。……ちなみに社長がナニをして二階堂の服を全滅させたのかは、私の知るところではない。

 この人は今回、くだんの蔵元で限定の酒が発売されると知ったとき。それがこの忙しい時期だとわかって、少しぐらいは躊躇っただろうか?私に命じることを、迷ったりしたのだろうか?
 今日になって言い出した、社長らしからぬ手際の悪さが私への嫌がらせではないなら、きっと少しぐらい、彼の中で葛藤があったということなのだろう。
 それでも二階堂炯のために、彼は「行って来い」と命じるのだ。どんな表情で逡巡したのかと思うと、にやけてしまうぐらいは、仕方ないこと。

 オフィスでぼんんやり私の帰りを待つなど、時間の無駄だと言いたげな社長に、私は満面の笑顔を見せてやった。
「やることなら、山ほどあるかと思いますが」
「…お前は私を過労死させる気か?」
「では組長との会談を終えられてから、蔵元へ向かわれますか?」
「…………」
「そうすると、お戻りは深夜になりますね。…二階堂さんとの約束は、何時なんです?」
 畳み掛ける私に、恨めしそうな表情を見せた社長は、肩を竦めて「わかったわかった」と息を吐いた。私は密かに「勝った」と満足し、拳を握る。
「ここで仕事をしていればいいんだろう?」
「助かります」
「限定二十本だそうだ。買えなかったなどと言うなよ」
「お任せ下さい。必ずお持ちします」
 深く頭を下げて社長室を出る。時計を確かめながら、車に乗り込む。しかし首都高に乗ってもしばらくは、肩が震えるのを抑えられなかった。
 社長室のドアを閉める寸前、社長が「日に日に可愛げがなくなるな」と呟いたのを、聞いてしまっていたのだから。



 私はいまだかつて、社長から「あいつはダメだ」という台詞を聞いたことがない。

 社長の人物評価は常に「面白いか、面白くないか」という二択で結論する。もちろん彼に野次馬的な好奇心は皆無なので、面白いか面白くないかを決めるのは、彼自身の主観だ。
 しかし多数派が「つまらない」のは、誰が考えても同じだろう。社長が面白いと評価する人間は、必ず他人と違う部分を持っている。要するに「変わっている」人物なのだ。
 この件に関して、二階堂炯の右に出る者は、そういない。

 私は社長から、佐久間組という組織の力を使わずに二階堂炯を調べろと、二度指示を受けたことがある。
 最初は、二階堂を追い詰める「脅迫材料」を探すため。
 二度目のとき、社長は
「炯が炯であるための、あいつを構成する全てを調べ上げて来い」
 と私に命じた。
 まったく、面倒極まりない話だ。会社の仕事だって山ほどあるのに、個人的な調査指令まで。しかし私があっさり首肯したのにはわけがある。
 私自身、二階堂という人物に興味があったからだ。

 いや別に、社長と張り合う気があったわけじゃない。
 とにかく社長は、熱しやすく冷めやすい人で、面白がって誰かに興味を持ち、その人物を分析することを楽しんでいても、しばらくすると彼の驚異的な洞察力で、人を使って調べるまでもなく看破し、興味をなくす。……つまりは飽きるのだ。
 そうすると、すぐに放り出し、私に押し付けてくる。
 大抵ここまで来ていると、相手の方が社長に熱を上げている。押し付けられた私はいつも、絶対に自分のモノにはならない女性の、時には男の相手をすることになってしまう。
 わあわあ泣かれ、社長に会わせてくれと縋られたって、叶えてやることは出来ないのだ。あの人は既に、飽きているのだから。……本当に迷惑極まりない話。
 だが二階堂に限っては、どうやら飽きるということがないらしく、社長はいつまでもいつまでも、彼をそばに置いて離さなかった。
 何があるというのか、二階堂炯に。
 彼を調査することは、私の好奇心を満たすためにも、願ったり適ったりの指示だったのだ。

 二階堂は愛想がよく、深い洞察力を持っていて、人に好かれる人物だ。そのことはとくに調べずとも、何度か会っていればわかる。