珍しいほど歯切れが悪いのに、私に隠す気はないようだ。じっと手元の携帯電話を見つめている社長には、表情の変化など見られない。
その時唐突に、私の頭の中で、無機質な声がリピートされた。
――お掛けになった電話番号は、電波の届かないところにあるか、電源が入っていないため、かかりません……
ここひと月。そのアナウンスを何度聞いただろう。
「社長」
「?…なんだ」
「元の携帯切って、その携帯しか電源入れてないことあるでしょう?!昨日の夜や、一週間前の時も!!」
こ…のっ…ワガママ大王めっっ!
詰め寄る私に、彼は少しだけ目を見開いて、自分が手にしている携帯電話を見つめた。
「そういえば…そうだな」
「一体、何だってそんなマネするんですっ!」
自分が行きたくなければ、私が迎えに行くと言おうが、すぐに戻ってくれと言おうが、黙殺するでしょうがアナタは。
命を狙われることさえある立場で、携帯を切ってしまうなんて。私がどれほど心配し、社長を探して駆けずり回ったと……。
いや大体、私にさえ応じるのが面倒だというなら、着信音を切るなり、電源を落としてしまうなりすればいいだけのことでしょうに。なんだってわざわざ二台なんですか。私を含む全てを引き離してなお、携帯電話が必要だというんですか。
……ああ、そうですね。
アナタにそんなことをさせる理由なんか、二階堂以外にありませんよね?!
行き着いた答えにひくっとこめかみを引き攣らせている私の前で、携帯電話を見つめたままの社長は、未だ答えを見つけられない様子。
黙ってしばらく考え込んでいた社長は、ふと何かに気づいた顔で私を見た。
「…鳴るから、か?」
……。
な、鳴るからって……しかも
「私に聞いてどうするんですかっ」
社長は本気で困惑し、携帯電話と私を見比べている。こんな風に彼が自分に戸惑っているのを見たのは初めてだ。
「大体、携帯が鳴るのは当たり前のことでしょう?その二台目の携帯だって鳴るんじゃないですか?」
「確かに…そうだな」
この人はもしかして、本当にわからないのだろうか。こんなにも単純明快な答えなのに。
間違ってもストイックだとは言わないが、しかし彼は理性的な人だ。
今まで一度として、何かに深くのめり込んだ姿を見たことがない。
行動は常に損得勘定の上に存在し、どんなに苦労して手に入れたものでも、必要なくなったと判断すれば手放してしまう。人でも、物でも。
趣味のいい人なので、社長の目に適うものというのは、用意するまでに時間がかかるし、金もかかる。しかしどんなものであっても、あっけなく捨てられてしまう。
基本的に「どうしても欲しい」とか、逆に「どうしても受け付けない」ということがないのだ。生活スタイルにこだわりはあるのだろうが、こだわるのは選択だけで手に入れさえすれば執着はしない。
明確な理由があって手に入らない場合でも、同じように執着することはなかった。
私には彼が、自分の欲求や本能まで、達観しているようにさえ見えていた。
そんな彼だからこそ、珍しいほど必死な自分の執着に、当惑しているのだろう。
「…二階堂さんは知ってるんでしょう?」
「何がだ?」
「その携帯の、番号ですよ」
ヒントを出してやるつもりで言ったことなのだが、社長はますます訳がわからないといった表情で頷いている。四十絡みの男がここまで困惑しているというのも、珍しい見モノだろう。
しかも答えは、社長でなければ誰でも気づくことなのに。
「だから…二階堂さんの為に持ったんじゃないんですか、その携帯」
驚いた顔に、笑う。
こんなにも社長が、人間らしい表情を見せるようになるとは、思わなかった。
……しかも、この私にだ。
「そう…なのか?」
「私に聞いてもしょうがないじゃないですか。ご自分で考えてください」
「お前、いやに冷たくないか最近」
むすっとした顔になって、社長は背を向けてしまった。私は自分の姿が社長の見つめるガラスに映っているのを、承知の上で肩を竦め、社長室を後にする。