【初恋】 P:07


 どんな時にもまず、頭で考えてから行動する。逆に言えば、論理に裏づけされたことしか信じず、理由の判然としないことには興味を抱かない。

 彼について「鋭い勘の持ち主だ」と言う人がいるが、それが間違いであることを私は知っていた。
 彼の持つ独特の観察眼と、光速とも思えるほどのスピードで真実を掴み取る洞察力に、凡人ではついて行くことが出来ないだけなのだ。確かにはたで見ていれば、直感に思えてしまうかもしれない。
 しかしそんな社長の論理が、実は後付であることにも、私は気づいていた。
 まず物事の核を掴んで、それから理論を打ち立てる。そういうところも、二階堂と似ているかもしれない。

 二階堂はどういうわけか……本当に、何を根拠にしているのかわからないのだが、まず「自分がそんな無償の好意を受けるはずがない」という結論を先に持ってくる。それから相手の行動に理論を打ちたて「ほらやっぱり」と納得する。
 他人同士の関係には、誰よりも鋭い人なのに。

 社長にしても、二階堂にしても、私のような凡人に言わせれば、やっていることがナンセンス極まりなかった。
 恋愛というのは、するのではなく落ちるのだ、というのは名言だと思う。誰が言ったのかは知らないが。
 二階堂のことを好きだという人に、明確な理由などない。
 ただ彼が目の前にいて、その姿や言動に、胸が震え夢中になる。それだけのこと。
 社長とて同じだろう。二階堂炯を欲している気持ちに、明確な理論など求めるから、答えを出せないのだ。

 あの社長にしては、珍しいことだとも思う。こんな簡単な答えが、わからないなんて。
 そう考えて、ふと。思った。
 ……ひょっとして、鷹谷慎二は。初めてこんな制御の利かない想いを抱えたのだろうか。



 二階堂が社長の元を自ら離れて行ったのは、ほんの数ヶ月前のこと。その現場には、私も居合わせていた。

 人生の半分以上を共に在り、親友だと信じきっていた人物から長い片想いを告げられた二階堂は、社長の手を離しその男の手を取って、社長の前から消えた。
 二階堂に選ばれたのは、高沢旭希(タカザワアサキ)。この男、実は佐久間組長の妾腹にあたる長男だった。
 高沢旭希を迎えに行け、と社長から命じられた夜……二階堂が社長に別れを告げた前日なのだが。私は初めて、長いこと疑問に思っていた答えを見つけた。

 社長が二階堂を拾った数年前の夜のことは、よく覚えている。
 路地裏で手がつけられないほど酔っ払い、座り込んでいたボロボロの男を見つけて、足を止めた社長が男を抱き上げた。それが二階堂だ。
 旭希さんの親友だ、と。一言だけ説明を受けた。
 しかしそのままホテルに連れ込んだ社長の悪ふざけが、なかなか理解できなかったのだ。一目で気に入るには、あまりにもその時の二階堂は酔いつぶれ、酷い状態だった。いま私が知っているきれいな顔立ちなど、見る影もなかったのだ。

 社長が悪い遊びに一歩を踏み出したのは、高沢旭希の長年の想いを知っていたせいなのだろう。まあ、その後は社長が勝手に、坂道を転がり落ちる勢いで二階堂にハマっていったのだが。

 ともかく社長の元から二階堂が去って。後姿を見つめる姿に、私は「フラれましたね」と。出来るだけ明るい声で話しかけた。その時の社長は、私に気を使わせるぐらい、消沈して見えたのだ。
 私を振り返り「今のところはな」と、余裕を窺わせ笑みを浮かべた社長。
 彼は自分でも、気づいていなかったのだろうか?
 確かに二階堂はその後、社長の元へ帰ってきた。高沢旭希の手を離さず、しかし社長の手を取った。彼らはバランスのいい三角関係を築くことで、二階堂炯の安定を最優先したのだ。社長と高沢旭希の間では、恋敵とも悪友とも言えそうな、不思議な関係が結ばれている。

 しかし、あの時。
 二階堂が、泣きそうな顔で社長の元を去っていったあの時。
 ほっそりとした頼りないくらいの背中を見つめる社長は、しばらくその髪に触れられないことを、悲しいくらいに噛み締めていた。
 普段は完成されたように見えている社長が、もしかして泣くんじゃないかとさえ私に思わせた、切ない表情を浮かべて。
 遠くない未来に自分という存在が、もう一度必要とされること。二階堂が再び泣きながら、社長の手を求めてさまようことを、社長は確信していた。それは間違いないと思う。無駄な強がりで信じたわけじゃなかったろう。確信があったのだ。
 しかしわずかな間、二階堂を手離してしまうことに。彼は身を切られるほどの苦痛を感じて、眉を寄せていた。