【8月特集】 P:07


「あの、教えてもらったら、一人で行けるよ?」
 躊躇いがちに呟いた桜太のその言葉に、湯女も時雨も呆れた。
「何言ってんだい!こんな小さい町であんた、迷ってんだろう?しかも道を聞いてきたのに、それでも迷ってんじゃないか」
「う…そうだけど」
「子供が遠慮なんかするんじゃないよ。ついておいで」
 困った顔の桜太に、湯女は明るく笑っている。
 元気を出させようとしてくれているのだろう。湯女は道行に並ぶ店先を指差し、あれが美味しいんだとか、あの店の亭主は自分のなじみ客なのだとか、何かと桜太に話しかけてくれていた。
 ほっとした表情で湯女を見上げ、大きな瞳を笑みに柔らかくしている桜太。
 改めて桜太を見た湯女も、その可愛い姿に目を細くしている。

 時雨はしばらくの間、桜太と共に女たちの家を泊まり歩いていたことがある。まだ時雨が、桜太を受け入れ切れなかった頃。 その時にわかったことなのだが、女たち……とくに男を手玉に取るような女ほど、桜太の愛らしさに陥落するのだ。
 悲しい過去を自分から告白したり、寂しさを吐露して涙を浮かべたり。
 相手がほんの子供だとわかっているくせに、その姿は自分より年上の男に甘えているように見えて、時雨は不思議に思っていたけど。
 自分も同じように、桜太の懐で痛みを宥めてもらうようになって、ようやく彼女たちの求める温かなものを知ることが出来た。

 きっと時雨の前で、桜太の手を引いている湯女も。あと一刻ぐらい、桜太と一緒に歩いていたら、愛しげに少年の身体を抱きしめるに違いない。
 しかしそんな暇もなく、二人は益屋へ着いて。名残惜しそうな湯女に感謝を述べた桜太は、元気に店へ入っていった。
 ――やれやれ…やっと着いたね…
 時雨もほっとしてしまう。
 町へ入ればそう歩き回ることもなくたどり着くはずの店まで、どれほど時間のかかったことだろう。
 隠れていた物陰に身体を寄りかからせ、ふうっと息を吐いた時雨の耳元。
「……で?」
 囁きは、あからさまに不審げだった。
 驚いた時雨が編み笠を上げると、目の前にはさっきまで桜太の手を引いていた湯女が、腕を組んで時雨を見上げている。
「お前さん…」
「あんたは何なんだい?」
「は?」
「さっきからずっと、後ろをつけてたじゃないか。あたしに用かい?それとも坊やに用なのかい?」
 返答によっちゃ、ただじゃおかないよ、と。時雨を睨む彼女は、二十歳を少し過ぎたぐらいか。少し前の時雨なら、興味をそそられただろう、色っぽい女だ。
 肩を竦めて見せた時雨は、周囲を見回して湯女の腕を掴んだ。
「ちょ、ちょと!」
「お前さん、ちっと付き合いなよ」
「はあ?!…あんた、あたしの問いかけに答えてない…って!待ちなよどこ行く気だい!」
 うろたえる彼女を強引に伴って、時雨が暖簾をくぐったのは、益屋からそう離れてはいない居酒屋。
 ここからなら、益屋に出入りする人の流れが見える。
 死角になっている縁台へ腰を落ち着けてしまった時雨は、じっと益屋へ視線を向けたまま、気のない声で湯女に「なんでも頼みな」と呟いていた。
 益屋夫婦の気性と、今の時間を考えれば、桜太がすぐに出てくるとは考えにくい。おそらくそれなりのもてなしをされるだろう、と考え、時雨は一人で怪しく居酒屋の片隅に居座るよりも、女連れの方がいいかと踏んだのだ。
 運ばれてきた酒に口をつけ、ようやく顔を前に向けた時雨は、呆れた顔のまま手酌で飲んでいる湯女に気づき、苦く笑った。
「突然、悪かったね」
「遅いよあんた。あんたがいい男じゃなかったら、とっくに逃げ出してるところさ」
「そりゃどうも」
「それで?何なの、あんたは?」
 改めて聞かれても、はたしてどう答えたものか?時雨はそうねえ……と曖昧な返答をしながら、ちらちら益屋のほうを伺い見ている。
「あの坊や…桜太って言ったかい」
「ああ」
「あんたの子?」
 当然と言えば当然の問いかけに、時雨は笑う。
「まさか。あたしの息子は出来のいい子だけどね。桜太よりもうちっと、可愛げのない可愛い子だよ」
「どっちなんだい」
「いいじゃないか…どうだい、あんたにはどう見える?」
 湯女は不躾なぐらいじろじろと時雨を眺め回し、それから桜太の姿を思い出すように、ちらりと益屋を振り返った。
「さてねえ…想像もつかないよ。奉公をしているようだけど、どうにもあんたが奉公先の主人には見えやしないし」
「ははは」
「もう少し暗い時間なら、かどわかしじゃないかと疑うところだ」
「酷いねえ」
「酷かないさ。あんな可愛い子をつけ回すんだから、疑われてもしょうがないよ」
「そうかい?」