その返答に布団の上で立ち上がった桜太は、怒りのあまり涙まで浮かべて時雨を見下ろしている。
「…信じられない」
「桜太…」
「どこまでぼくのことを子ども扱いするの時雨はっ!!」
「い、いやだってさ。心配するじゃないか、やっぱり」
「心配するのは、ぼくを信用してないからでしょ?!」
「桜太…」
「信用しないのは、ぼくのこと子供だと思ってるからじゃない!」
「違うよ、待ちなって」
「もういい!帰るっ!!」
「桜太っ」
これでは昨日と同じだ。
時雨を振り切って、部屋を出て行こうとする桜太を、時雨は寸でのところで捕まえた。
「離してよっ」
もがく桜太を抱きすくめ、今日は間に合って良かったと、時雨はため息をつく。
まだ何か言おうと、開いた桜太の口に唇を重ね、不満を吸い取ってしまう。強引に桜太の顔を捕まえている、時雨の指先。濡れたものが触れて、驚いて顔を離した。
「桜太?」
「ふ…っ」
「な、泣くことないじゃないか…桜太」
ぽろぽろと零れる涙に、困り果てた時雨が唇を寄せると、少年は嫌がるように首を振った。
「そうやって、誤魔化すつもりなの…?」
「いや…その」
「ぼくが時雨のことを好きな気持ち、利用してる」
「そんなつもりじゃないよ…」
眉を寄せて見つめる時雨に、桜太は頑なな様子で首を振っていた。
「時雨がそんなつもりじゃなくたって、そうだもん。…ぼくは、子供だって。わかってる…」
そうじゃないんだと、桜太を抱きしめる時雨の腕の中。涙の止まらない桜太は、震えていた。
「わかってるよ、そんなこと…。っ、でもぼくは、時雨にだけはちゃんと見ていて欲しいの…っ」
「桜太」
「兄ちゃんに子ども扱いされたって、弥空さんに子ども扱いされたっていいよっ…でもっ…でも時雨にだけは、いやだ…」
桜太の華奢な手が、時雨の着物に縋りついていた。
自分がまだまだ幼いことは、事実で。圭吾よりも年上の時雨と心を繋げたことは、あまりに幸運な奇跡だから。
わかっているからこそ、少しでも時雨の負担にならないよう、自分を見ていてもらえるように。桜太はいつだって、自分に出来ることを探している。
無理をして、背伸びしたりせずに。
出来ることを確実に自分のものにして、足元を固め時雨に近づいていけるように。
時雨ははっとなって桜太の顔を見つめると、眉を寄せた。
桜太の方が、自分などよりもずっと大人の目で、物事を考えているのだ。冷静に自分たちの関係を見つめて、一生懸命に歩いている。
ゆったりと桜太の身体を抱き直した時雨は、小さな頭を自分の胸に預けさせ、背中から少年を抱きしめた。
「…あたしが桜太のことを子供扱いしてるなんて、そんなこと考えてるのはきっと、お前さんだけだよ」
「し、ぐれ…?」
右手で桜太の右手を。左手で桜太の左手を。ぎゅっと掴んだ時雨は、情けないねえと、自戒の言葉を口にした。
「空にもさ。ちゃんと言葉にしないのにわかってもらおうなんて、虫が良すぎるって。いつも怒られるんだよ?」
別れを告げに女性のもとを訪れる時雨のことを、いまだに妬いてくれる桜太。どうしてわかってくれないかねえ?なんて愚痴た時雨を、弥空はうんざり顔で見ていた。
――彼がいくつか、わかってます?
そう言って。
「………」
「ねえ桜太、あたしがお前さんを心配しちゃいけないかい?確かに後をつけるような、卑怯な真似をしたことは謝るよ」
「…うん」
「でもさあ…愛しい人の心配をするのは、そんなにいけないことかねえ?」
ぱちぱちと、何度かまばたきをした桜太は、顎を上げて時雨を見上げている。
「圭さんが朔を、朔が圭さんを心配するのは、信用していないからかい?桜太はあたしが何かの用で町を離れたら、心配してくれないのかい?」
「それは…」
「あたしはきっと、心配しなくていいよって。そう言って町を発つだろうけどさ」
桜太は想像してみる。
たとえば時雨が一人、なにかの用で圭吾の家へ向かうとして。帰りが明日になるなんて言われたら、自分はどうするだろう?
「…きっと、心配する」
「ああ」
桜太は唇を噛み締め、捕まえられている両手の指を絡めた。
たとえ自分の良く知る村へ行くだけだとしても。時雨が自分なんかより、ずっと大人だとわかっていても。
「時雨が帰ってくるまで、心配して胸をどきどきさせてると…思う」
少しでも時雨が、辛い思いをしていなければいいと思って。思うあまりに、色んなことを勝手に想定してしまって。きっと眠れないくらい、心配するだろう。
「ついて行っちゃいたいって、思うかも……時雨…」
「うん?」
「…ごめんなさい」
俯いた桜太の零す、素直な謝罪。