それでもなんとなく、互いに距離を置き、曖昧な関係のままだった圭吾と村人たちは、彼の引き取った子供……桜太(おうた)と名づけられた少年を介して、より親密に互いを信用し、関わっていくことになる。
村の中にあって、農民とは違う視点を持った圭吾。
侍とも商人とも違う、独特の視点を持った圭吾のもとへ、村人たちはぽつぽつと相談事を持ちかけるようになった。また圭吾の方も、男手だけでは足りない桜太の世話を、たくさんの子供をかかえる農村の彼らに頼り、相談を持ちかける。
持ちつ持たれつ、塩梅のいい距離を保って、互いを認めあうことが出来た村の中。圭吾は誰より目立つ存在だった。
背が高く、筋肉質でもすらりと細身の圭吾は、いつも趣味のいい手回り品をそばへ置き、派手であっても地味であっても、あくまで自分に似合う着物を、身に付けている。
きつい視線が精悍な顔立ちの中に印象的な男前。長めの髪はいつも首筋にかかっていて、長さの揃わない真っ黒な髪が褐色の肌に映える。
女たちから送られる秋波は相当なものだったが、彼はあくまで素人女に手を出さない。村の年若い生娘たちが、初めて身体を開くなら圭吾さんがいい、と噂するも本人はどこ吹く風。芯の強い、懐の深い男。
彼の評判は女たちよりもむしろ、男衆の方が高いぐらいだ。男気に惚れる、という言葉はきっと、圭吾のような者対して使うのだろう。
そんな圭吾の許で育てられているせいなのか、桜太も気持ちの優しい、まっすぐな少年に育っていた。
実に良く働き、くるくると表情の豊かな桜太は、十年を経て今でも、村人たちから可愛がられている。
どうにも家事を面倒がる圭吾に代わって、家事全般を請け負っている桜太の姿は、いつも周囲を感心させ、かみさん連中に「桜太ちゃんを見習いなっ!」と怒鳴らせるほどで。働き者の桜太は、寺子屋で書を習い、かみさん連中の井戸端会議に参加して、しかも同世代の子供たちと元気に遊ぶ。
自分のすべきことに必死で取り組んでいる姿は、どこか無理をしているようにも見えて、それだけが大人たちの気がかりだ。
桜太は捨てられていた自身の身の上を、ちゃんと理解していた。
周囲の人々に諭されるまでもなく、圭吾への感謝と、圭吾に会うまで自分をその桜の根元に抱いていてくださった、お稲荷様への感謝を忘れず、毎日を過ごしている。
自分の幸運に奢らない少年の姿は、大人びていて。それを隠そうとしている姿が、また健気なのだ。
桜太はちらりと格子窓の向こうに、離れを見つめていた。
出来た子供と関心ばかりされてしまう桜太だが、彼だって少しぐらいの我が儘や、甘えを口にすることもある。子供なのだからそれは、当然のこと。
実は今、桜太には欲しいものがあるのだが……どうにも圭吾には言い出せないでいた。
圭吾が我が儘を怒るとか、甘えを叱責するとかいうことはない。どちらかといえば圭吾は、桜太の我が儘に甘い男だ。
いま桜太が欲しいと思っているものは、前に圭吾が町へ行った時、土産と言って買って来てくれた高価な砂糖菓子。
ここのところ桜太は、家から近いところに住んでいる老人の所へ、毎日顔を出していた。いつも元気な婆さんだったのだが、先日腰を痛めてから、どうにも起き上がることが出来ずにいる。
毎日顔を出し、話し相手をしている桜太は、彼女がその砂糖菓子を「食べてみたいもんだねえ」と言ったのを聞いて、圭吾に頼もうかどうしようか迷っているのだ。
言えばきっと、笑って。町に行ったとき、忘れずに買って来てくれると思う。
ちゃんと話して、圭吾が買ってきてくれたら、動けないでいる気丈な老人も喜んでくれるだろう。
そう思っているのに、桜太が言えないでいるのは、ここのところの圭吾が、あまりにも不安定なせいだ。
最近の圭吾は、いつもどこか苛立っているように見える。
何か聞かされたわけじゃない。でも圭吾が何か、大きな秘密を抱えていること。少年はちゃんと、気づいていた。
少しばかり口数が減ったようにも見えるが、もとより圭吾は饒舌なたちではない。しかし桜太は、敏感に変化を感じ取っていた。圭吾が途方もない苦しみを抱えているということを。
桜太が己の小さい手を悔しく思うのは、こんなとき。
桜太は鍋を覗き込んで、かまどの火を落とした。
夕餉の支度など桜太には慣れたもの。