着物の間から見える、きつく巻かれたさらしを目に止め、時雨は興味深そうな顔になった。
「まあな」
「…あんたが怪我するなんて、珍しいこともあるもんだ。どうしたんだい」
時雨は圭吾が腕の立つ男だということを知っている。町では十人ものならず者に囲まれた圭吾が、相手を残らず沈め悠々と立ち去った逸話があるほどだ。
その圭吾が、怪我だなんて。心を預けた朔に刺されたとでも言うならまだしも、そうでないなら一体誰が圭吾に怪我をさせたのか。
ようやく素直に己の気持ちを認めたのか、圭吾が朔を開放したのは知っていた。淡い髪色の素晴らしく美しい男が、圭吾の元で暮らし始めた話は、とうに町の噂だったのだ。
そのうちからかいに行ってやろうと思っていた時雨は、幸せ絶頂のはずの圭吾が、誰ぞから傷を負わされたと聞いて。朔の存在よりも、そのことの方が興味深く、いそいそと村までやって来た。……物好きなのは、本人も重々承知。
なあ、どうしたんだい。と、やけに聞きたがる時雨から、圭吾は目をそらせる。
「大したこちゃねえよ。気にすんな」
「何だい、そうやって隠されると、余計気にかかるじゃないか。あたしには言えないような大事なのかい?」
「さてねえ」
「圭さあん…構やしないだろう?お前さんとあたしの仲じゃないか」
「どんな仲だってんだ。知るか」
「口を噤んでろってえなら、命取られたって話しゃしないよ。わかってんでしょうに」
「まあな」
へらへら捉えどころのない時雨だが、信用に値する人物だということはわかっている。
圭吾はちらりと時雨を見て、ほんの少し口元を歪めた。そうして途端に大仰なため息を吐く。
「…どうしても聞きてえのか?」
「そりゃそうだよ。その為に来たんだから」
「どーしてもか?」
「なんだよ圭さん…脅すんじゃないよ」
「仕方ねえな…時雨。ちっと耳貸せ」
ちょいちょい、と手招きする圭吾のそばへにじり寄った時雨は、上半身を傾けて圭吾の方へ耳を寄せる。圭吾のそばに座っている朔は、何かに気づいた様子でくすくす笑っていた。
不思議そうな顔で二人を見る時雨の耳に、届いた言葉。
「てめえには教えてやらねえ」
まるで子供のような、圭吾の言い分。時雨が呆気に取られ、朔は笑い出していた。
「圭さん…なんだい、あたしにはって」
「そのままだろ。…俺ぁな、時雨。てめえを喜ばせるようなことは、何一つしたくねえ気分なんだよ」
ぷいっと横を向いた圭吾は、なあ?なんて平然とした顔をして、朔の髪を撫でている。朔が恥ずかしそうに少し肩を竦めているのを目にして、今度は時雨の方がため息を吐いた。
圭吾の怪我は実のところ、屋根から足を滑らせて落ちてきた子供を、咄嗟に受け止め、その際に肋を痛めたというだけの話なのだ。まあ名誉の負傷と言えなくもない。
しかしそんなこと、圭吾が触れて回るはずはなかった。
本人が何も言わなければ、噂は尾ひれ背びれがつき大きくなる。
時雨はどうせ圭吾のことだから、いつもの無表情で、つまらない真相を聞かせてくれるものだと思っていた。圭吾の怪我には興味があったが、世の中そんなに面白い話は転がっていないものだ。
なのにどうだろう?
楽しそうな顔をして。時雨にだけは教えてやらないんだとか、子供のようなことを言う。愛しげに朔の髪を撫で、恥ずかしがる彼を優しく見つめている。
やってられないよ、と。二人のそばを離れた時雨は、ふと思いついてもう一度腰を落ち着け、懐から煙管を取り出した。
「そう言やさあ、圭さん」
葉を捩って煙管に詰めていると、圭吾が何も言わずに時雨の方へ、煙草盆を押しやった。火をつけて、すうっと煙を吐き出す時雨の、含みを滲ませる口元。
「あたしの牡丹がお前さんの仕事だって、朔に言ったのかい?」
「…まあな」
いきなり何を言い出すんだ、と。不審気に見つめる圭吾は渋々といった様子で頷いている。
「へえ、そりゃあ。良かったねえ朔?お前さん、この彫りもんをやけに気に入ってくれてたじゃないか。圭さんの仕事だってわかって、嬉しかったろう?」
それは、時雨の背中に咲き誇っている見事な牡丹の彫り物のこと。
飄々とした様子の時雨の背中にあって、凛と咲く見事な牡丹の彫り物は、一目で朔を虜にしたほど美しいものだ。
朔はその彫り物が圭吾の手によるものだと教えられた折り、ついでに出会う前の、時雨との不義を詰られていた。