【明日への約束A】 P:05


「ねえ、桜太…どうして急にそんなことを言うんです?そんな…町に住みたいだなんて」
 そう。
 桜太が今日、唐突に言い出したのは「町へ行きたい、町に住みたい」という話だった。

 単に町へ行きたいというなら、頃を見て連れて行ってやればいいの話なのだが、住みたいとなれば違ってくる。
 しかも三人で居を移したいというのではない。自分一人で町へ行き、生活したいというのだ。
「お前…なあ。どうしたんだよ急に。なんか嫌なことでもあったか?」
 不安げな顔で尋ねる圭吾に、桜太はきっぱりと首を振った。
「ないよ。全然嫌なことなんかない」
「だったらおかしいだろ、そんなことを急に言うのは。俺に不満があるならそう…」
「違うんだよ、兄ちゃん。兄ちゃんにも朔にも、不満なんかない」
「桜太…ねえ。私がここへ来てしまったことで、桜太を寂しくさせましたか?」
 辛そうな顔で尋ねる朔に、桜太は首をかしげた。
 時雨といい朔といい、なぜ大人は同じことを言うのだろう?
 朔が家に来たから寂しいのかと、時雨も桜太に聞いたのだ。
「どうして?…朔が来てからの方が楽しいよ。兄ちゃんと二人だけのときの方が、一人で寂しい時が多かったもん」
「じゃあ、それが理由かよ?」
「違うってば。…あのね」
 ふふっと、やけに大人びた顔で微笑んだ桜太は、素晴らしい発見をしたように、気持ちを言葉にした。

「ぼくね、兄ちゃんや朔と離れていられるくらい、強くなったんだよ!」

 桜太の宣言に、圭吾は何のことかわからず首をかしげた。
 一方で朔は、ようやく自分の言葉を曲解したのだということを理解し、さあっと青くなる。
「ま、待ってください桜太。昨日の話は例え話みたいなもので…!」
「大丈夫、わかってるから」
「わかってるじゃなくて…違うんです」
「なんだよ、昨日の話って」
「朔は兄ちゃんと出会って強くなったんでしょ?兄ちゃんもきっと、前から強かったけど、朔と出会ってからもっと強くなったんだよね?ぼくもね。強くなったから大丈夫!」
「大丈夫じゃありませんっ!…違うんです、聞いてください桜太…そういうことじゃなくて」
 自信満々に宣言してくれるが、桜太は何かを勘違いしている。朔はなんとか自分の言葉を取り戻そうと焦っていた。

 桜太の言葉は確かに昨日、朔が話したままだけど。身体を繋ぎ、想いを重ねて、未来を誓う大人の恋愛と、好きだと思う気持ちで突っ走ろうとしている今の桜太では、状況も何もかもが、かけ離れている。
 しかし「違うんです」と繰り返す朔は、桜太に「何が違うの?」と問われて、言葉に窮してしまった。
 圭吾を想う朔の気持ちと、桜太が誰かを好きだと思っている気持ち。真剣であればあるほど、そこに違いはないだろう。
 いやだから、そういう事ではなくて。

「桜太…一体、誰のことを言っているんです?」
 朔が困り果てた挙げ句に問いかけると、桜太は真っ赤になって俯いてしまった。
 時雨の名を出したら、圭吾が怒るような気がして。時雨も二人だけの秘密を圭吾に知られたら、圭吾が怒ると言っていたことだし。
 言い合う朔と桜太の様子に、大体の流れを察した圭吾は、煙草盆を引き寄せ、煙管を咥えた。
「惚れた奴でもいるのか?」
 ため息を吐く。圭吾が朔の姿を心に刻んだのは、桜太よりも幼い時分だ。ありえない事でもないだろう。
 桜太はちらりと圭吾を見上げ、まだ顔を赤くしたまま大きく頷いた。
「うん」
「誰だ?」
「…言えない」
 辛そうな、小さな囁き。
 煙を吐き出した圭吾は「わかった」と呟いて、それ以上相手のことを問いかけるのを止めた。
「圭吾っ」
「何だよ?」
「何だよって…わかったなんて、そんな」
「仕方ねえだろ?言いたくないんじゃねえ、言えねえってんだからよ。餓鬼にだって色々あらぁな」
 心配そうな朔に、圭吾は困った顔で笑いかける。
 頑固な自覚のある圭吾だが、彼が育てただけあって、桜太は芯の強い子だ。少年が「言えない」と宣言するのだから、きっと生半可な覚悟ではないのだろう。
「…つまりお前は、惚れた奴が出来て、俺たちと離れても平気なくらい強くなったから、町へ行かせろってんだな?」
「うん」