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【明日への約束③】 P:03


 相変わらず桜太の荷物を持ってやっている時雨が、少し意地悪に笑って、隣を歩く桜太を見下ろす。
「怖くはないのかい?」
「怖い?どうして?」
 隣を歩く大きな瞳が、不思議そうに時雨を見上げた。
「圭さんとも朔とも離れてさ。もう暗くなってるよ?知らないところに一人だろう?不安になったりはしないかい」
 もし時雨が悪い大人だったら、このまま売り飛ばされてしまうかもしれないのに。
 まだ数度しか会っていない時雨が、かどわかしじゃない保障など、どこにもないだろう?と。まるで怖がらせるためのようなことを言い出した時雨に、桜太は少しも暗い顔をしなかった。
「だってぼく、一人じゃないもん」
「あ?」
「時雨といるのに、どうして怖いの?」
 ふわりと桜太が浮かべた笑顔に、時雨は肩を竦めた。本当に桜太はしっかりした子だ。
「ま、そうなんだけどさ」
 余計なことを言ったね、と苦笑いを浮かべる時雨の手を、桜太がぎゅっと握る。
「時雨は怖いの?」
「…何言って…」
「ぼくがいるよ?時雨」
 普段から町で暮らしている時雨に、言うことではないはずなのだけど。桜太の手があまりにも暖かくて、時雨は目を見開いた。思わず立ち止まる。
「…あたしが怖がってるように見えるかい?桜太」
「それは、わからないけど…。兄ちゃんがね」
「うん?」
「人は、鏡なんだって言ってた」
「鏡…?」
 まるで、幼い子供の方が大の大人を宥めるように。桜太はしっかりと時雨の手を握り、まっすぐ視線を合わせて、優しい言葉を紡ぐ。
「心に悲しい気持ちがある人は、目の前の人が悲しんでるように見えるって。恐ろしいと思う気持ちで人を見るから、目の前の人が恐ろしく見えるんだって。だからね…」
 桜太は時雨の手を強く握ったまま、あどけない顔に大人びた表情を浮かべている。時雨を包んでしまいそうに、落ち着いた光の浮かぶ瞳を向けていた。
「ぼくのこと、怖がってるように見えるなら…時雨が怖いと思う気持ちになってるせいなのかなって。思ったの」
「桜太…」
「時雨のこと何もわからなくて、ごめんなさい。でも時雨、きっと大丈夫だよ。ね?」
 驚いた顔になった時雨は、目を伏せてそっと桜太の肩を抱き、引き寄せた。
 これから行く先を思うと気持ちが重くて、立ち寄った店では無意識に酒を頼んでしまい、頼んだものを断るわけにもいかず、言葉少なな様子で飲んでいたのは時雨の方だろうと。そう言われたようにさえ感じた。
 情けないこと、この上ない。
 自分が引き受けてやる、なんて言ったくせに。支えられているのは時雨の方だ。

 小さな手が、時雨の着物を掴んでいる。
 引き寄せた桜太の髪を何度も撫でて、時雨はため息をついた。
 さらさら手触りのいい、桜太の髪。初めて会ったときから、時雨のお気に入りだ。
「…怖いってことは、ないんだけどねえ」
「うん」
「どうにも苦手なんだろうさ…近くなると、いつも気持ちが重たくなるんだよ」
 つてがあるから任せろ、なんて圭吾には言ったけど。使いたくないつてなのは確かなのだから。
 桜太の肩を抱いたまま、時雨は歩き出す。
 大店の並んだ通りをまっすぐ行って、細い路地の角を右へ。長い塀の真ん中にある勝手口が、目的の場所だった。



 木戸の前に立った時雨は、ふうっと息を吐き出した。心配そうに見上げる桜太へ笑いかけ、その手に預かっていた荷物を渡してやる。
 連絡をしていたせいか、木戸に閂は掛けられておらず、押せばゆっくり開いた。かって知ったる様子で、中へ入っていく時雨のあとを追う桜太は、開けた塀の中で広い庭を目にする。
 町には何度も来ている桜太だが、こんな大店の中へ入ったのは初めてだ。それも見世(店舗)ではなく、生活空間になっている屋敷の方。

 手入れの行き届いた庭は、贅沢なものだが、しかしどこか冷たいように感じる。暖かい季節なのに花が一輪もないからだと気づいて、桜太は目の届く限りを探してみるのだが。やはり、明るい色彩は見当たらない。
 緑が映え落ち着いているけれど……冷たく感じるのは、長い廊下にそった障子が、ぴたりと閉められているせいもあるだろうか?いや、大店ならこれで普通なのかもしれない。
 ざわついた通りの音が遠くなっているから、余計に静けさが際立っている。
 今になってやっと、桜太は時雨が自分をここへ連れて来た理由を考え始めていた。