【明日への約束B】 P:08


 小さな肩だ。
 自分とそう年は変わらないはずだが、桜太の方がずっと華奢な身体をしている。
 弥空は桜太の顔を覗き込んだ。こんな風に泣いて震えている少年を、放ってもおけない。
「ねえ桜太くん。私はずっと不思議に思っていることがあるんだけど。聞いてもいいかい?」
 涙を拭う桜太が頷くのを待って、弥空は微笑みを浮かべる。
「君ね、どうして町へ来たいと思ったの」
「…………」
「父からは、君が突然町へ来たいと言い出して、圭吾さんを困らせていたって聞いたけど。本当は何か理由があるんだろう?」
 桜太は聞き分けの良い子だ。この店に来てから、どんなに可愛がられたって、我がまま一つ言っているのを聞いたことがないし、どんなに祖父が可愛がっても、桜太は菓子一つねだったりしなかった。

 今まで誰にも聞かれなかったことを、時雨とよく似た優しい声で尋ねてくれる。
 弥空の瞳を見ていたら、時雨の姿が重なって……桜太はどうしても堪えきれずに、またぼろぼろと泣き出してしまった。
「っふ…ふえっ…」
「ごめんね。言いたくないかい?」
 桜太は首を振る。首を振って、弥空を見上げる。
 じっと言葉を待っていてくれる、弥空の瞳。穏やかな慈愛に満ちた瞳は、やっぱり時雨と似ている。
 そう思ったら、我慢しようと思っていた会いたい気持ちが溢れて溢れて、止まらなかった。
「…みそら、さんっ」
「うん?」
「ぼく、ぼくね…っ、時雨といっしょにいたかった、の」
 予想していなかった桜太の告白に、弥空は少し驚いた顔になる。
「父と?」
「うん…っ」
「君、父と一緒にいたくて、村を出たのかい?」
 どうしてまた、と。弥空は首を傾げた。
 圭吾とは何度か会って、弥空と同じくらいの年の子を引き取ってるんだと、話してもらったことがある。
 いつも懸命で、自分が育てたとは思えないくらい出来が良くて、どこへ出しても恥ずかしくない自慢の子だと。照れくさそうに話していた圭吾は、弥空を対等に大人として扱ってくれる、年上の友人。
 圭吾から桜太の話を聞くとき、時雨が同席していたことも確かにあったけど。しかし弥空は、父の口から桜太の話を聞いたことはない。
 そう、今回町へ連れてくるまで、時雨と桜太の関係など、一度も聞かされたことがなかった。
「父とって…またどうして…」
 そんな圭吾や、生まれ育ったところと離れてまで、時雨といたい理由なんか。弥空にはどうしても思い浮かばない。
「だって…時雨は村に来ても、帰っちゃうから…」
「まあ…そうだね」
「もっと、もっと時雨といっしょにいたくて…時雨のこと、見ていたくてっ…でも、時雨はここで頑張りなさいって…だから…っ」
 泣きじゃくる桜太の背中を撫で、じっと桜太を見つめていて。頭のいい弥空は、なるほどと苦笑いを浮かべる。
 ……大人たちは、誰も気づかなかったのだろうか?桜太の想いに。
 こんなにも懸命に、まっすぐに。少年は時雨への想いを、少しも隠そうとしていないのに。
「そうか…そうだったんだ。それは、驚いたろうね」
 桜太はまさか、時雨のいないところに預けられてしまうとは、思っていなかっただろう。少なくとも、もっと時雨と会える環境にいられると思って、毎日のように時雨の顔を見ていられると思って、町へついて来たのだ。……時雨に惹かれた気持ちのままに。
「うちの父は、馬鹿だねえ…」
 ため息をつき、桜太を引き寄せ肩を抱いてやる。
 時雨としても、こんな幼い子供から想われているなんて、想像もしなかったのだろうけど。
 それにしたって、よりにもよって近江屋に預けるなんて。間抜けにもほどがある。
 絶対に時雨を受け入れようとしない、この家に預けてしまったら、桜太の様子を窺うことすら出来ないだろうに。
「み、そらさんっ」
「うん」
「時雨に会いたいっ…!」
「…桜太くん」
「あいたい…あいたいの…っ!時雨に会いたい…っふ…ふえ」
「ああほら、そんなに泣かないで」
 弥空は息子として、けして父を嫌ってはいない。
 彼は確かに、やさぐれた遊び人を気取っているけど。本当は懐の深い、優しい人なのだ。それは、息子として自信を持って言える。……もちろん口に出して言ってなどやらないが。

 時雨が変わったのは、母が死んでからだと聞いている。
 周囲の思惑で祝言を上げた二人だが、彼らは彼らなりに思いを重ね、心を通わせていたのだろう。