【明日への約束C】 P:05


 ふくれて文句を言うならいいが、こんな風に泣いて悲しまれると、反応に困ってしまう。

 どうしたものかと時雨が腕を組んでいるところへ、階段が軽やかな音を立て、小春の戻りを教えてくれた。
 からりと襖を開けた彼女は、手にした盆の上にある大福を、桜太に差し出して見せる。
「桜太ちゃん、隣のおばさんがくれたんだよ。ね?もういいから、これお食べよ」
「小春さん…ごめんね、時雨が嘘ついて」
「構やしないさ、いつものことなんだから。ほらほら、美味しそうだよ」
 機嫌を取ろうとにこにこ微笑んでいる小春に桜太を任せ、時雨は煙管を咥えた。
 こうして時雨の不義を桜太が代わりに謝るのは、ここのところ繰り返されている茶番劇。真剣な桜太を思えば、茶番などと言うべきでないのだろうけど。
 差し出された盆を受け取った桜太は、二つ並んだ大きな大福と、二人の大人を見比べている。
「どうしたんだい?小春がくれるってんだから、ありがたくいただきな」
「そうだよ桜太ちゃん。ほら」
 ね?と首を傾げる小春の前で、桜太は手を合わせ「いただきます」と呟いた。しかしすぐに口にしようとはせず、おもむろに大福の片方を二つに割ってしまう。
「?…桜太ちゃん?」
「はい、時雨」
 割った大福の片方を時雨に差し出し、丸まま残った大福を小春に返してしまう桜太。
 呆然としながらそれを受け取った小春は、慌てたように桜太の手を止めた。
「いいんだよ桜太ちゃん。一人で食べな」
「?…せっかく分けられるのに、一人で食べても美味しくないよ」
「そうだけど…じゃ、じゃあこれ。一つの方をあんたが食べなよ。あたしと時雨さんは、半分でいいから」
 戸惑う小春に桜太は微笑み、首を振る。
「小春さんが食べて。…だって小春さん、甘いもの好きでしょう?」
「え…?どうして」
 確かに小春は、大の甘党だけど。
 首を傾げる小春に、桜太は微笑んでみせる。そんなこと、桜太にはお見通しだ。
「昨日、小春さんが作ってくれた晩ご飯、甘い味付けになってたから」
「桜太ちゃん…」
「小春さんが作ってくれた煮豆、すごく美味しかったよ。あとで作り方教えてね?」
 なんでもないことの様に言って、桜太は手にしている半分の大福にかじりついた。
 しかし、その瞬間に小春に抱きしめられて、喉につかえそうになってしまう。
「うぅっ?!んっ…っ!な、なに?小春さん?!」
 むせる桜太を抱きしめ、小春は泣き出さんばかりの顔になっていた。二人の様子に呆れて、時雨は嫌そうな顔のまま、桜太に渡された大福を口にする。
 これは、ここ最近の見慣れた流れだ。
「ねえ桜太ちゃんっ。あんたこんな、ろくでなしのことは諦めてさ。あたしと一緒に暮らそうよ!」
 ――お前もか、小春。
 時雨が心の中で愚痴る。

 小春は桜太を膝に抱き、何度も何度も頭を撫でて、可愛い顔を眺めていた。
「あんたは桜太、あたしは小春。春の名前同士、きっと気が合うよ。ねえ、そうしよう?」
「こ、小春さんあの…」
 おろおろと困り果てる桜太に見つめられ、時雨は肩を竦めた。
 毎日のように相手を変える時雨だが、最近は大概こうして、朝になると女たちが桜太を気に入り、お前はいらないから桜太を置いていけ、と言い出している。
「ねえ時雨さん、いいだろう?あたしが責任持って預かるからさ。大体あんたみたいな遊び人が、こんないい子をたぶらかすなんて。お天道様が許さないよ」
 それには時雨も同意する。
 同意するが、桜太を取り上げられるのは困る。
「馬鹿を言うんじゃないよ、お前さんは」
 圭吾から預かった以上、簡単に他人の手へ任せるわけにはいかない。
 しかしうんざりした顔の時雨を、小春はきっとばかりに睨みつけた。
「あたしは本気だよっ!…ねえ、桜太ちゃん。どこがいいんだい、こんな根無し草みたいな男」
「小春さん…」
「あんたは本当にいい子だ。…あたしねえ、芸者だった頃に一人、子供を生んだんだよ。でも育てらんなくて、里子に出したんだ。あんたみたいな、いい子に育ってくれてたらいいんだけど…」
 時雨も聞いたことのないような、小春の過去だ。きっと桜太には、人の話を聞き出すからくりでも付いているんだろう。そうでなければ、こう毎日毎日、女たちの切ない思い出話を聞かされるはずがない。
 気持ちというのは、言葉にすると抑えが利かなくなる。
 もう遠に諦めたことでも、こうして口にしてしまうと、飲み込んだ事情が一気に吹き飛んで、感情だけが溢れてしまう。
 桜太を抱きしめたまま、ぽろぽろ泣き出した小春。そっと小さな手が伸びて、小春の涙を拭った。