桜太は震える手で障子を開いて、時雨の結い紐を格子に結んだのだけど。
手早く障子を閉めようとした、ちょうどその時に。
「…ひっ!」
かっと光った空。間髪おかずに大きな音がして、一気に大雨が振り出した。
「っふ…やっ」
「桜太…どうしたんだい?」
「や…っ!やだ、しぐれ…っ」
しゃがみ込んだ桜太が、涙を浮かべて時雨を振り返る。
その様子に首を傾げながらも、雨が中へ入らないよう、障子を閉めるために近寄った時雨が、手を伸ばした途端。
空が青く光った。
再びどんっ!と大きな音が響く。
「ありゃあ…どっか落ちたね」
「…っ!…や…やだ…」
怯えた声に訝しがる時雨は、閉めた障子と桜太を見比べていて、ふと思いついた。
「…お前さんもしかして…雷が怖くて、そんな青くなってんのかい?」
呆れたように言う時雨は、小さく笑って障子を閉めた。どんな大人びた顔をしていたって、子供は子供のようだ。
ごろごろと響く地鳴りのような音に、部屋の隅に走っていった桜太は、耳を押さえ涙を浮かべて、身体を小さくしている。
――なんだこんなことか……。
慌てた自分に自嘲の笑みを浮かべ、時雨は桜太のそばに腰を下ろした。
そういえばいつだったか、圭吾と酒を飲んできたとき。彼は雷が近づいているからというだけの理由で、慌てて席を立ち、走るように帰っていったことがあったけど。きっとあれは、桜太を心配してのことだったのだろう。
――あんがい過保護だねえ、圭さんも。
「そんな怖いもんかい…?」
呟く時雨を、桜太が見上げる。涙に濡れた頬を拭ってやると、少年が震えているのがわかった。
「あのさあ…お前さん、もう十にもなってんだろう?雷ぐらいで泣いてて、どうするね」
「怖くない…怖くないよ…」
言い張るが、こんなに肩が震えていたら、説得力も何もあったもんじゃない。
桜太はためらいがちに手を伸ばすと、時雨の羽織を縋るようにぎゅうっと握った。
「知ってるもん…雷様は、あったかい空気と、冷たい空気を混ぜて、稲を育てていらっしゃるんだって…」
「へえ?」
「朔が言ってた…だから…だから、悪い子を連れて行くような暇はないって…」
ぼろぼろ零れていく涙。可哀想になって引き寄せてやると、桜太は時雨の胸に頭を寄せて、短い呼吸を繰り返していた。
その様子はどうにも、尋常な怖がり方じゃない。
「…桜太?」
訝しがる時雨を見上げ、桜太は唇を噛み締めた。
雷は、いつだって桜太の心を痛くさせる。桜太自身に弱さを見せ付ける。
音も光も、怖いけど。
それ以上に、怖がっている己の姿が桜太を責めるのだ。
迷いに、迷って。時雨の瞳を見つめて。
何度も何度も唇を舐め、桜太は躊躇いがちに口を開いた。
「…兄ちゃんに、悪い子は雷様に連れて行かれるんだって言われたとき、ぼく…きっと連れて行かれちゃうんだって、思ったんだ…」
弱い声が告白する。それは桜太が誰にも言わなかった、本当の気持ち。
もっとずっと幼かった頃、戯れに圭吾が言った言葉は、桜太の一番辛い気持ちを串刺しにしてしまった。
「兄ちゃんに迷惑をかけてるから…兄ちゃんに助けてもらうばっかりだから…いつか兄ちゃんが、ぼくのこといらなくなったら、きっと…雷様が連れてっちゃうんだって…思った…」
何も言わなかったけど、圭吾は察してくれた。自分の失態に、気づいたのだ。
それ以降、圭吾は雷が近づくと、どうにかして帰ってきてくれた。
間に合おうが、間に合わなかろうが。
桜太の心が孤独に苛まれてしまう前に、必ず戻ってきて、桜太を抱きしめてくれる。
でもそうして、圭吾が桜太を大事にすればするほど、桜太は不安になって雷に怯えた。
ほらまた、自分は圭吾のお荷物になってるじゃないかと。……思い知らされて。
雨の音が周囲の音を掻き消して、広くもない部屋に時雨と桜太を閉じ込めていた。
ごしごし目元を拭う桜太は顔を上げ、時雨を見つめる。
「心配させて、ごめんなさい」
「いや…」
「時雨、どこか痛いみたいな顔してた…本当にごめんね。ぼくがしっかりしてないから…」
ああ、またこの子は。
――自分を責めるのか。
時雨は桜太を膝に抱き上げ、小さな顔を両手で包んで、目尻に唇を寄せる。
視線を合わせ、苦笑いを浮かべて。首を振った。
「違うんだよ、桜太。桜太のせいじゃないんだ」
自分が口にしようとしている言葉に、軽く驚いてしまう。
時雨はこれまで、桜太の一途な気持ちに戸惑うばかりで、あまり向き合っていなかった。はぐらかして逃げることにばかり、必死だったような気がする。