「酷いこと、しないで」
「…………」
「葉霧さん、泣いてたよ?…時雨、どうして」
唇を噛み締め涙を流す葉霧は、震えていた。あんな顔をさせて、時雨自身が傷つかないわけがないから。
自虐だと気づいているだけに、桜太の心はきゅうっと痛くなる。
しかし時雨は、気だるげに長い髪をかき上げ、暗い目で桜太を睨んでいた。
「なんの女房気取りだい、お前さん」
乾いた声で言われ、桜太はびくっと肩を震わせる。低くて怖い、うなるような声。
「時雨……」
「邪魔すんじゃないよ。それとも何かい?お前さんが葉霧の代わりをするのかい」
あんなに澄んでいた時雨の瞳が、鈍い色で覆われている。桜太は震える指先を、懸命に時雨へと伸ばしたけど。
「どうしたの…ねえ、時雨」
触れる寸前に、ぴしゃりと跳ね返された。
「葉霧を呼んできな」
「時雨っ」
「いつまで俺に付きまとう気だ!」
怒鳴られた桜太が、ひくっと息を詰める。涙をいっぱいに浮かべた大きな瞳を睨みつけ、ぎりっと奥歯を噛み締めた時雨は、立ち上がってそばへ行くと、桜太の襟元を掴みあげた。
「いい加減、目障りなんだよ…人の迷惑、考えな」
「…し、ぐれ…」
「いらないんだよ、お前なんか」
感情の欠片もこもっていない、時雨の言葉。
大きな瞳を見開いて、桜太は驚愕に打ち震えた。
いままで時雨は、何度も自分から桜太を引き離そうとした。近江屋に帰れとも言われたし、邪魔をするなと言われたこともある。
でも、こんな。
取り付く島もなく、酷い言葉を。まるで傷つけるのが目的だというように、叩きつけるように。
同じ意味の言葉でも、いつもの困った様子で言われるのとは、全然違う。
時雨は桜太を突き放した。よろめいた桜太は、乱れた布団を握り締め、時雨を見上げる。
少しも桜太を受け入れようとしない、痛いくらいの拒絶を感じて。冷たく見下ろしている、別人のような時雨を見て。
桜太はたまらずに走り出していた。