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【明日への約束⑥】 P:05


 手元の結い紐を何度か折ってまとめ、きゅっと結んだ弥空が、それを時雨の方へ置いて、顔を上げる。時雨の真意を探る、真っ直ぐな弥空の視線。
 はぐらかすように軽薄な言葉を使い、笑みさえ浮かべているくせに。弥空の瞳には違えようもないくらい、熱いものが揺らいでいる。
 町中駆けずり回り、夜までかかって時雨を探したという、弥空。
 近江屋において、けして時雨の存在を表に出さない彼が、なりふり構わず自分を探したのだとしたら、それはきっと桜太の為だ。
 時雨は肩から力を抜いた。
 なんだか可笑しさがこみ上げて、頬が緩むのを止められない。
「好きにすればいいさ」
「…………」
「お前なら歳も近くて、似合いだろうよ」
 呟いた言葉に、嘘はなかった。
 桜太のことを思い、走り回った弥空。弥空がどんなに出来た子か、誰より時雨が知っている。年も器量も、桜太の隣にあって遜色ない子だ。
 それに弥空なら、時雨よりもずっと、桜太に優しくしてやれるだろう。

 自分勝手に納得し、笑みさえ浮かべて答えた時雨は、煙管片手に顔を上げ、驚愕する。
 時雨の言葉に弥空は、嬉しそうな顔一つしていなかった。じっと真剣な眼差しで、時雨を見つめている。
 譲ってやると言った時雨のことなど、弥空は少しも信じていない。それどころか、またお前は逃げるのかと時雨を責める、厳しい視線。
 驚く時雨の前でしかし、目が合った弥空は、口元を吊り上げて、いびつに笑った。
「じゃあ、そうします」
「…空?」
 軽薄さを通り越し、適当でさえある弥空の言葉。
「私は家を継がなければならない立場ですから。桜太くんには一生日陰の身になってもらいますけど…いいですよね、別に」
 立ち上がり、時雨を見下ろすその表情は、男の顔だった。幼さの欠片もない、対等な男として時雨を見ている。
「…………」
「どうにも今は、父しか見えていないようですけど。あれだけ素直なんですから、無理にでも一度抱いてしまえば、なんとかなると思いませんか?」
 弥空の言葉に青ざめて、時雨は中途半端に立ち上がった。
「空っ」
 咎める時雨の声に、弥空は少しも動揺しない。
「なんです?そういうつもりで、好きにしていいと仰ったんでしょう?まさか父、桜太くんをまだ子供だとでも思っているんですか?」
「っ!…いい加減にしねえか!」
「あなたにだけは言われたくありません」
「弥空!」
「あなたが昨日抱いた陰間と桜太くんは、いくつも違わないんですよ?…あんな色っぽい顔で、あなたのことばかり聞かされるのも癪ですし。とりあえず抱いてから、後のことは考えます」
「空、待ちなっ!」
「お邪魔しました。父は陰間とでもいつもの女性たちとでも、お好きなように」
 引き止めようとする時雨の前で、ぴしゃりと襖が閉められる。
 一人きりになった部屋で、時雨はただ呆然と弥空の去った後の襖を眺めていた。
 
 
 
 
 
 弥空が帰って行った部屋に一人、時雨は眠ることも、ろくに動くことさえ出来ずにいる。時間の経過がわからない。硬くなっている身体は、時の流れから突き放されたようにさえ感じる。
 ずきずき痛い頭の中に、息子の言葉がぐるぐると回っていた。色んなことを言われたはずなのに、朦朧とした思考の中には、時雨を動揺させるいくつかの言葉しか蘇ってこない。

 桜太のことを、まだ子供だと思っているのかなんて。
 とんでもないことを言い出した弥空。
 一生日陰の身にすることを承知の上で、桜太を譲れと。桜太を抱いてから考えるなどと、酷いことを口にしていた。

 この憤る気持ちは何だ。父としてのものか、大人としてのものなのか。それとも自分は、圭吾から桜太を預かった保護者として、憤っているとでも言うつもりなのだろうか。
 どれでもないことはわかっているはずなのに、時雨はまだ抗っている。
 桜太を抱くと宣言して行った息子は、いっぱしの大人の顔で時雨を見ていた。

 愚かなほど、焦っている自分。
 いくら冷静に考えようと努めても、思考が追いついてこない。

 弥空と桜太が似合いだと言ったのは時雨だ。二人が並んでいれば、確かにその姿は絵になるだろう。
 弥空が桜太を抱き寄せて……その先を考えられず、時雨は首を振る。

 吸い込まれそうな瞳で、時雨を見上げる桜太。
 可愛い顔立ちの中にあって、優しく澄んだ心根を表すかのような瞳が、時に熱っぽく潤むことを知っている。
 その瞳に引き寄せられ、何度も口付けたのは時雨なのだから。

 桜太のあんな姿を見て、名でも囁かれたら、さすがの出来た息子でも、ひとたまりもないだろう。
 篭絡される弥空が、本当に桜太を抱き寄せてしまったら。彼が言うように、桜太を手篭めにして、自分のものになれと命じたら……素直な桜太は、泣きながらでも従うだろうか?