楽しげに語っている桜太。時雨は少し面白くなくて、急に振り返ると驚く桜太を捕まえた。
「わっ…な、なに?」
「だってあたしは桜太の料理、食ったことないんだよ」
「それは、そうだけど」
「圭さんばっかり、ずるいじゃないか」
むすっとした顔の時雨を見つめ、桜太は少しだけ首を傾けた。
「…やきもち?」
「悪いかい?」
「…兄ちゃんと時雨は違うって、そう言ったのは時雨でしょう?」
呆気にとられた顔をした桜太は、やがてくすくす笑い出した。
「…笑うことないじゃないか」
「だって…時雨、子供みたいなんだもん」
いい子いい子、なんて。膝立ちのまま背を伸ばした桜太が、時雨の頭を撫でたりするから。悪戯心を起こした時雨は、その指を捕まえて舌を這わせた。
突然のことにひくっと震えた桜太を抱き寄せる。
にやりと笑う時雨の舌が、桜太の指先から、指の間まで。ゆるゆると這うのに、桜太は赤くなり、身を捩ってぱっと時雨の腕の中から逃げ出した。
「あれ、なんだい?戻っておいで」
おいでおいで、と。手招きする時雨に、桜太は顔を赤くしたまま首を振る。
「だめっ」
「桜太〜」
「だめったらだめ!もう明るくなってるんだからっ」
「え〜…いいじゃないか〜」
駄々を捏ねる時雨に可愛く舌を出した桜太は、手早く着物を身に着けてしまう。うなじがほわりと染まっていて、髪を整える仕草が艶めかしい。
あの様子なら、最後まで自分を受け入れられる日も遠くはないかなあ……なんて。随分勝手なことを考える時雨を置き去りに、桜太は窓へ向かった。
開け放った障子から、眩しい朝日が飛び込んでくる。雨がやんだ町は、きれいな空の下で、昨日よりも輝いているようにさえ見えた。
すうっと外の空気を吸い込んで、ふいに下を見た桜太は、きょとんと首を傾げる。
「どうした?」
桜太の様子に気づいた時雨が声をかけながら、仕方なく自分も着物を着ようと、雨に濡らせたまま放り出していた単(ひとえ)を引き寄せて。部屋の端に畳んである、ひと揃えの着物に目を止めた。……出来た息子が、わざわざ用意してくれたのだろう。
世話になりっぱなしの父親が、苦笑を浮かべて新しい着物を手に取ったとき。じいっと外を見つめていた桜太が、不思議そうな表情で振り返った。
「……兄ちゃんが、いる」
いる、どころじゃない。
通りの向こうに見えた圭吾の姿は、あっという間に近くなっていた。足早に何かを急いている様子の圭吾と、その傍には朔の姿まで。
間違いなく、ここへ向かっている。
桜太の言葉に、時雨がさあっと青くなった。
そりゃ確かに、いつか圭吾の元へも筋を通しに行かなければならないと思っていたが、こんなにも早く、顔を合わせることになるなんて。
慌てて着物に袖を通し、手早く髪を纏めた時雨は、乱れ放題の布団や昨夜の着物を適当に畳んで部屋の隅に押しやったけど。
……荒々しく踏み込んできた圭吾には、何もかもお見通しのようだ。
「け、いさん…」
久々に会った圭吾は、じろりと時雨を睨み、無言のまま部屋を見回した。
明らかに慌てて片された夜具。
送り出したときからは想像もつかないほど、色っぽい表情をしている桜太。
冷や汗をかいて自分を見ている時雨の、半端に乱れた髪。
……ぶちっ、と。
何かが切れる音がしたと思ったのは、きっと時雨の思い過ごしじゃないだろう。
「時雨てめえっっ!!」
「ちょ!ま、待ちなって圭さん!なんであんた、ここのことが…」
言いかける時雨が、襖のところに立っている朔を見つける。そうして、いま着いたのだろう。朔の隣にひょっこり顔を出した弥空。
……満足げに笑う自慢の息子と、目が合った。
「そ、空!お前…」
知らせたのはお前かと、焦る父を前にして。弥空は何でもないことのように腕を組み、わざとらしく深刻な顔をしたりする。
「なんていうか、私は圭吾さんの友人でもあるわけですし」
「空っ!」
「あれ?今までにも圭吾さんには、桜太くんの様子を知らせる文を送っていたんですよ。知りませんでした?」
けろりとした顔。
壁に追い詰められている時雨は、二の句を告げずに口をぱくぱくさせている。その様子はまるで金魚だ。
「大事な息子さんをお預かりしているんですから、当然でしょう?それに…」
と、弥空は微笑を浮かべて、隣に立っている朔を見上げた。
「朔さんにも、一度お会いしてみたかったので。桜太くんは父のものになった様ですが、朔さんと一度詳細を聞きにいらっしゃいませんか〜?って」
文を送ってみました。
にこりと笑う弥空を、朔が柔らかい笑みを浮かべて見おろしている。