日本での資産や、僅かに抱えていた仕事を全て子供たちに譲り、本邸の裏庭にあった惺のための場所まできれいに始末してしまった。そうしてただ一人、自分の家令だけを伴なって日本から旅立ったのだ。
いつから準備を始めていたのか、惺にとってもそれは、あまりに唐突、晴天の霹靂で。
どういうつもりだと詰め寄る惺に、彼はにやにやと笑いながら「わしがどこにいようとも、会いたければ勝手に会いに来れば良い」と意地悪く呟いていた。
彼の行き先。荷物の発送元。
惺が泰成と出会った国。
海辺の田舎町に隠居して引きこもってしまった泰成だが、その様子は時々、秀彬が律儀に知らせてくる。
丁寧に包まれた紙をようやく剥がしたところに、直人が戻ってきた。
「何だった?じいサマからの荷物」
「いま開けて…」
応えようと呟いた惺は、中から出てきた箱を見て手を止める。
「また…懐かしいものを」
「惺?」
「ワインだよ。ハニーワインだ」
きれいなデザインの装飾に彩られた箱。日本では見ることのない製造元。しかしその会社を、惺は知っている。
三本のボトルと一緒に包まれていた小さな箱には、ワインになる前のハチミツが入っていた。
「ハニーワインって…ハチミツで作るワインってこと?」
「ああ。日本ではあまり見かけないが、ヨーロッパでは昔から親しまれている」
「へえ…珍しいね。やっぱハチミツ味なのかな」
「そうだな。冷たく冷やして飲んだり、冬場は温めて飲んだりするな」
「あ、じゃあチーズサンドでも作ろっか。合いそうだし」
にこりと笑う直人を見上げ、惺は僅かに眉を寄せた。
「お前、村木さんたちと飲んできたんじゃないのか?」
村木弁護士は直人が勤める法律事務所の経営者。この部屋の隣人でもあり、惺たちとは家族ぐるみの付き合いだ。直人が弁護士になりたいと言い出したきっかけも、おそらくその村木弁護士なのだろう。
今は難しい裁判を控えて、事務所全体が忙しい毎日を送っているというが、惺はあまり直人の仕事の話を、積極的に聞こうとしない。
もちろん仕事柄、直人も抱えている案件の詳細や、依頼人のことは話せない。しかしそれを踏まえても惺は、外で直人が何をしているのか、普段から聞きたがらないのだ。
相変わらず自宅に引き篭もりがちな惺にとって、この部屋を出たあとの、自分の知らない直人の顔など、聞いて楽しい話題じゃない。