優しく肩を揺すられて、惺は重い目蓋を上げる。ぼうっとした視界に映るのは、すっかり衣服を調えたスーツ姿の直人だ。
「おはよう、惺」
穏やかに微笑む彼から口付けられ、ようやく惺は周囲を見回した。
自室のベッドに寝かされている身体が、やけにさっぱりしている。……昨日あんなにハチミツを塗りたくられ、べとべとになっていたのに。
直人が始末してくれたのだと察して、ばつの悪い惺は、不機嫌そうな表情を浮かべると、ふいっと窓に目を遣った。
「…もう朝か」
「うん。俺、そろそろ出掛けるね」
「ああ…」
わかった、と応えるくせに、直人を見上げる瞳はどこか寂しげに見える。苦笑いを浮かべた直人にもう一度キスされて、惺は溜め息を吐き出した。
「そんな顔しないでよ。行きたくなくなっちゃうだろ」
「…馬鹿なことを言うな」
生活態度や仕事に関して、惺が厳しいのは昔から変わらない。しかしそんな言葉は口先だけだと、もう直人にはバレてしまっているのだろう。
出来ることならずっと、二人で一緒にいたいのだ。惺の指先や視線が、言葉にならない気持ちを訴えている。
でもそんなことは出来るはずもなくて。直人は宥める言葉の代わりに、指を惺の髪に絡めた。
「今日はさすがに遅くなると思うから、先に寝てて」
「…わかった」
「村木先生の気分次第で泊まりになっちゃうかもしれないけど、その時はちゃんと連絡入れるから」
「ああ」
「じゃあ…行ってきます」
ちゅっと額に口付けた直人は、惺に背中を向けて部屋を出ていく。
ドアを閉める間際に見えた横顔には、男っぽい精悍さと、厳しさが現れていた。
それは、惺の知らない顔。
直人がこの部屋の外で、弁護士という肩書きの下に戦う顔だ。
そんなもの知りたくないし、知る必要もない。
脱力したようにベッドへ倒れ込んだ惺は、拗ねている自覚のある顔を、枕に押し付ける。甘い夜を過ごした翌朝ほど、一人が辛くて仕方ない。どうしようもないことを訴えるほど、ワガママではないつもりなのだが。
直人が学生の頃「行きたくない」と甘える彼を叱るのは、自分の役目だったのに。今では惺の方が「行くな」という言葉を飲み込んでいるのだ。
鼻をくすぐる甘い香りに気付き、惺は再び身体を起こした。
枕元においてあるマグカップ。
温かな湯気は中のハニーティから漂っている。惺を起す直前に、直人が淹れたものだろう。