国の南の端に位置する、岬に建てられた屋敷は、手入れが行き届いていて、あの頃と何も変わらなかった。
「なあ、泰成」
「なんだね」
エマが刺繍を施したというクッションを感慨深げに見つめ、惺は秀彬の出て言った扉に目を遣る。
「秀彬が生涯結婚しなかったのは、エマが理由なのか?」
二人の仲が良かったことは知っている。ただ彼らの間に、熱っぽい感情を見た覚えはない。自分が気付かなかっただけなのだろうかと尋ねる惺を、泰成は笑った。
「ははは…お前さんは案外、ロマンチストじゃな。エマと来栖か?そうなら話は早かったんだがね」
「違うのか?秀彬に想いを寄せる女性は多かっただろう。なのにあの子は、ずっと独り身じゃないか」
周囲から来栖家の跡継ぎを作れと、どんなに迫られても彼は頑として聞き入れなかった。そのせいで笠原家と来栖家の長年に渡る忠義は、泰成たちの代で終わりを迎えている。
代わりに彼は、笠原家の中で後継者となる家令や執事を何人も鍛え上げた。どんな養成学校で教わるよりも、秀彬の下に入る方が厳しく確かだと言われたくらいだ。
その理由を、惺は今まで聞いたことがない。秀彬がいいなら、自分が口を出すことではないと思ったからだ。しかし今になって思うと、彼はずっと一人で寂しくはなかったろうかと、気になって。
今更のように秀彬の行く末を案じている惺を見つめ、泰成は何かを懐かしむように目を細めると、窓の外へ視線を向けた。
「ああ見えて、頑固な奴だからな」
「頑固?」
「家に縛られ、生まれた時から行く末を決められるような宿命は、わしらの代で終わらせようと。そう言ったのはわしだよ」
「泰成…」
「まあ、周囲を黙らせるための大義名分なのだがね」
「じゃあ、本当の理由は…?」
やけに興味を深める惺を見て、泰成は昔と同じように意地悪く笑っている。
「秀彬に聞くがいいさ」
「おい」
「わしが死んでから、あれをゆっくり問い詰めてみることだ。うっかり口にするかも知れんぞ?」
さらりと泰成が口にした「死」という言葉に、惺はぎくりと肩を震わせた。
目の前にいる泰成は、その表情も瞳の輝きも、出会った頃とあまり変わらない。しかし確かに彼は老いていて、惺がこの屋敷に着いてから、一度も今腰掛けている大きな椅子から立ち上がろうとしなかった。