その時、急に風が吹いてきた。
海から吹き付けるくせに、どこか優しく温かい風。
そのぬくもりに都合のいい考えを見つけて、惺はじっと目を閉じる。
どうか安らかに。
貴女のそばに、弟たちがいることを願って。君たちは微笑んでくれていると、信じよう。
そっと目を開けた惺は、物言わぬ古い石に微笑みかけ、柔らかく口付ける。それから、電源を落としたままにしていた携帯を取り出した。
「便利な世の中になったもんだよ…こんな遠く離れた場所でも、僕は大切な人の声が聞けるんだ」
電源ボタンを少し長く押すと、それは息を吹き返して明るく惺を迎えてくれた。
待ち受け画面に表示された時計は、日本時間のまま。向こうが夜中だということはわかっていたが、惺はなぜか、彼が電話に出ると信じて疑わなかった。
短い呼び出し音。
どきどきと高鳴る胸に、手をあてる。
『惺?!』
やはり直人はすぐに電話を取り、上ずった声で惺の名を呼んでくれる。
穏やかな弟とも、明るい弟とも、この場に眠る朗らかな女性のものとも違う。余裕がなくて切羽詰った声。でもこれが惺の一番聞きたかった声だ。
「直人…」
惺が呼びかけると直人は一瞬、息を飲んで。躊躇いがちに「ごめんね」と囁いた。
『昨日はあんなこと言って、ごめん…すごく後悔したんだ。あの、あのね、惺。来週まで待っててくれる?俺、なんとかしてそっち行くから』
「…忙しいんだろう?」
『うん…すぐ帰ることになっちゃうと思うけど、でも迎えに行くよ』
温かい声に泣きたくなる。
どんなワガママも受け入れてくれる直人は、惺が思うよりずっと大人になっているのだ。責任のある仕事を担っていても、なお惺に手を差し伸べてくれる。
幼い頃、必死に自分を追いかけていた小さな直人じゃない。いま話しかけてくれるのは、惺の背中を支えてくれる人。
「来なくていい」
惺がそう言うと、直人は咄嗟に息を詰まらせたけど。彼が何か言うより早く、惺の方が先に口を開いた。