【1月ハチミツ-後編】 P:02


 到着まで一時間を切り、他の乗客には降りる支度を始める者までいるというのに、惺一人だけのために彼女はブランケットを広げてくれるのだ。
 人から優しくされるのはこんなに嬉しいものだったのか。
 生きることに背を向け、周囲に冷たく接し続けた自分を、惺は今さらのように恥じている。
 ありがとう、と囁いて掛けてもらったブランケットを肩まで引き上げると、彼女は本当に嬉しそうな顔で微笑んでくれた。

 ああ、直人に会いたいな。
 改めてそう思う。
 心が少しだけ落ち着いた。

 自分の身に起きた、幸せなこと、悲しいこと。奇跡のような出会いと、身を切られるような別れ。
 誰でもなく直人に聞いて欲しい。
 長い時間を生きて、人から傷つけられ、傷つけてきた。後悔や懺悔まで、あの子に聞いてもらいたい。
 責任を押し付けるつもりなんかなく。自分の重荷を、彼にまで背負わせるんじゃなくて。もっと愛されたいから、もっと自分を知って欲しい。
 それから、自分には関係ないと今まで耳を貸さなかった、直人の仕事の話も。出来る範囲でいいから聞かせて欲しいと思う。
 立場上、直人には言えないことが多いのも、わかっている。
 でももし彼が仕事上のことで、あるいは別の理由で傷つき、惺の知らない場所で苦しむのなら。今度は自分が、誰より早く直人の元へ駆けつけてやりたいと思うから。

 惺は目を閉じて、薄く唇を開いた。

「なおと…」

 今、どこにいる?
 ただその名を呟くだけでも力をくれる。
 世界中でただひとり、惺を支える名前を持つ人。
 ゆっくり目を開けて、窓の外を見た。
 白い雲と青い空が広がるばかりだった視界に、騒がしい街が見えてくる。
 直人のいる東京までは、あと少し。
 
 
 
 
 
 空港での手続きは、年々簡単になっている。荷物の少ない惺なら、入国ゲートでパスポートを差し出し、認証機に手を置くだけで、すぐ通過だ。
 惺からパスポートを受け取った出入国管理官が、これだけは何年経っても変わらないスタンプを押しながら「お帰りなさい」と義務的な言葉を口にした。
 どうせ相手も業務の一環なんだから、と否定的に考え、過去一度として答えたことも、気に掛けたことさえなかったのに。