【第一話・あらすじ】 P:04


学校帰りのファミレス。ナツアキと一緒に食事を済ませ、まだダラダラしている。
話すことは惺のことばかり。
今日は出版社から捩じ込まれた仕事のせいで、部屋にこもっているから邪魔をするな、と言われていて。帰る気が起きない。ナツアキとファミレスで飯食って来るって言っても、惺は心配そうな顔ひとつせずに「わかった」と言っただけ。
いつもなら惺はダイニングテーブルで仕事をしてくれる。一人になりたがらない俺のことを、考えてくれる。きっちりした性格の惺は、文筆業だがよく聞くような「締め切りに追われて修羅場で」という事態になどならない。しかしたまには、こんなこともあって。惺のせいじゃないとわかっていても、こんな日は家に帰りたくない。
「惺さんは、優しいね」
アキが宥めるように言ってくれる。
「いつもはナオの気持ちを、優先してくれるんでしょう?気の済むまで付き合ってあげるから、そんな寂しそうな顔しないで」
にこりと笑うアキこそ優しいと思う。しかし同じ顔なのに全く性格の違うナツは、苛立たしそうに「ウザい」と呟いた。
「お前ってホント、親離れしねえよな」
「惺は親じゃないよ」
「親みたいなもんだろ。本気でウザい。お前の口から惺さんの名前聞くの、いい加減飽きた」
「やめなよナツ」
アキからたしなめられても、ナツの不機嫌な顔は変わらない。いっそう険しくなっている気さえする。俺はむっと拗ねた顔になって、黙った。そんな俺の頭を、アキがちょっと笑って撫でてくれる。
だって、しかたないじゃないか。
俺には惺しかないくて、惺以外いらないんだから。



今でもナツから「抜けている」と言われる俺だけど、もっとガキの頃は今以上に抜けた子供だった。
なにせ父親がいなくなっても、母親がいなくなっても、自分が捨てられたことに気づけなかったくらい。
誰もいなくなった、寒々しい部屋に四日。食べるものもなくなって、母さんも帰ってこなくて、どうしようもなくなった俺は、ふらふらとアパートの外へ出た。
何をするつもりで出たのかは、今でもよくわからない。
母さんを探そうと思ったのか、とにかく誰かに会いたかったのか。空腹と孤独で、俺は心身ともに限界だったから。
転げ落ちるようにアパートの階段を下り、ふらふら歩き出して。どれくらい歩いたのか、思い出せないけど。ふうっと身体が軽くなった俺は、視界が暗くなる寸前に、青ざめた男の顔を見た。

目を開けて、最初に見たのも同じ顔。
心配そうに見えたけど、今考えたら無表情だったのかもしれない。母さんと同じくらいの年で、母さんよりずっときれいな顔立ちの男が、何を考えているのか。俺にはわからなかった。
彼は俺を見たまま、後ろにいたらしい誰かに声をかけていて。立ち上がる彼が「行ってしまう」と思った瞬間、俺は手を伸ばしていた。
行かないで、と泣いて頼んでいた。空腹なんか忘れていた。ただこの人と離れたくないことばかり考えていた。
戸惑った表情になり、彼は俺の伸ばした手を取ってくれて。言う言葉を失い、黙ってしまったのだ。
幼い俺を助けてくれた人。俺には光を放っているようにさえ見えた人。
惺との出会いだった。

「これが運命ってやつかね?」
笑いを含んだ声。現れたのは、見たことのない老人だった。惺から「タイセイ」と冷たい声で咎められた老人は、肩を竦めて可笑しげな表情のまま俺を見つめていた。
俺が寝かされていたのは、大きな屋敷。テレビでも見たことのないような、豪華な一室。

嫌がる俺を置いて帰った惺と、もう一度会えたのはそれから三日後。
タイセイと呼ばれていたじいサマが、屋敷の主人。笠原泰成は日本でも有数の金持ちだという。若い頃は投資の鬼と呼ばれていたらしいが、今は隠居してのんびりしているのだとか。
三日間、俺の身の回りの面倒を見てくれた女性から呼ばれ、じいサマの部屋へ通された俺は、そこにいた惺の姿を見るや否や、抱きついてしまった。
眉を寄せたまま、それでも惺は俺を受け止めてくれた。
「覚悟を決める気になったか?惺」
相変わらずじいサマは何かを面白がっている表情で、惺を見ていた。
「フザケるな。何の覚悟だよ」
「ガキの面倒は見慣れているだろう?」
「泰成」
「じゃあガキに決めさせるか?おい、名前はなんと言ったか」
聞かれた俺は藍野直人と、小さく名乗る。じいサマはゆったりと椅子から立ち上がり、俺の前にひざをついて視線を合わせてくれた。
「なら、直。今お前さんには、三つの未来が用意されている。私のこの大きな家で何不自由ないが窮屈に暮らすか、親に捨てられた孤児として施設へ行くか、お前さんがいま手を掴んでいるその男と一緒に行くかだ」
ずいぶんと差のある選択肢を用意されたが、当時五歳だった俺にはじいサマの言う言葉がよくわからなかった。