【第一話・あらすじ】 P:06


玄関を開けると、廊下に電気がついていた。使わない部屋の電気はすぐに消してしまう惺だけど、自分がリビングで待っていられないときは、こうして廊下と言わず、リビングもダイニングも、見える範囲には明かりをつけてくれている。
全部、俺の為だ。
いつまでも子供っぽくて、自分でも嫌になるけど。暗闇とか一人とか、俺はどうしても慣れることができないから。
廊下を通るとき、一応惺の部屋のドアをノックして「惺、帰ったから」と声をかける。中からは「ああ」と返答があったけど、顔は見せてくれなかった。
きれいに片付いたリビングに鞄を置こうとして、俺はぴたりと動きを止める。そのままリビングの中にドアのある自分の部屋を開けて、鞄を置き、着替えた。
惺は根っこは優しいんだけど、生活態度や常識に関して、もの凄く厳しい。
散らかした服や鞄の言い訳に「あとでやろうと思ってた」なんて、絶対に言えないんだ。無表情で怒る惺は、ほんとに怖いんだよ。

リビングのテレビを小さな音でつけた俺は、しばらくしてからキッチンへ向かった。使われた様子のない、片付いたキッチン。惺は俺がいないと、何も食べずにいることが多いから。
本人は「大丈夫」って言うし、俺も惺が体調を崩したところなんて見たことないけど、やっぱり気になってしまう。
炊飯器を覗いてみると、ご飯が残ってた。
ちらりと惺の部屋のほうへ目をやって、もう一度炊飯器を覗きこむ。
料理なんてほとんどしたことないけど、何か作ってあげたら、惺は喜んでくれるだろうか?
いそいそ握ったおにぎりは、あんまり美味しそうに見えなくて。惺が凄く料理上手なだけに、軽く凹んだけど。でもせっかくだからと皿に盛り、ラップをかけてトレイに置いてみる。
惺の部屋の前まで行ったものの、俺にはドアを開ける勇気がなかった。…惺の邪魔はしたくない。
しばらくは、トレイを持ったままドアを睨んでた。迷いに迷った挙げ句、俺はその場に座り込んでいた。
ドアの隣、廊下の壁に背をつけて、膝を抱える。壁を通した向こうから、惺の叩くキーボードの音。横に置いたおにぎりの行方は、わからない。

子供の頃は、惺と一緒にいられるだけで幸せだった。
学校へ行けずに、家と病院の往復だった頃も。学校へ行けるようになって、毎日惺のいる家へ帰ってくるようになっても。
ただそこに、惺がいてくれるだけで幸せだったんだ。
でも今、俺は重苦しい想いを抱えて、迷ってる。
肥大してしまった想いは、どうにも幼い頃に描いていた、淡い気持ちとは違ってしまっている。
視界に惺がいるだけで、身体が熱くなる。声を聞くだけで、ぞくっと背筋が震える。
夜中に何度も飛び起きるんだよ。
夢の中で惺を押し倒し、細い身体から服を剥ぎ取っている自分が恐ろしくて。惺の悲鳴に飛び起きれば、それは自分の声だと気づくんだ。
バカだと思う。
俺は小さい頃と全然違う目で、惺を見てる。その身体を抱きしめて、唇を合わせて。好きだって囁いたら、惺はどんなに驚くだろう。俺を引き取ってくれたこと、後悔させるだろうか。

蹲ったまま、俺は自分の手を見つめた。右手を開くと、親指の付け根に星型の痣がある。描いたみたいに、きれいな星型。
普通はこういうの、親と生き別れても目印になるとか、言うんだろうな。でも残念ながら、俺には探してくれる親なんかいない。いない、けど。この痣が、俺と惺を会わせてくれたように思えて仕方ない。
惺にもあるんだ。
同じ形の、星型の痣。
この家に引っ越して、すぐの頃。俺は惺の腰の辺りに、偶然それを見つけた。おそろいだってことが、嬉しくて仕方なくて。惺に言いたかったけど、俺はすぐ、惺がその痣を隠したがっていることに気づいてしまった。
だから、まだ言えないでいる。
惺はきっと気づいてるよね?なんで何も言わないんだろう。惺にとって、嫌な思い出でもあるんだろうか。
そんな風に考えれば考えるほど、俺は暗く凹んでしまって。俺の痣さえも惺が見たくないと思ってるんじゃないかって。
だからなんだか、右手はいつも軽く握ってしまう。
星に願いを、なんて考えるほど子供じゃない、つもり。
でもこうして、惺の姿が見られずに寂しくなると、じっと右手を見つめている。
……俺、ダメだ……
いつまで黙っていられるだろう。惺が好きだってこと。

がっくりうな垂れていると、急にドアが開いて惺が姿を現した。
「っ!……惺」
「直人?こんなところで、なにしてる」
不審そうな、惺の声。考えていたことを見透かされてしまっているような気になって、俺は慌ててトレイを手に立ち上がった。
「あの、惺…また何も食べてないんじゃないかと思って」
「気にするなと、言ったろう?」
「そうだけど。でもあの、やっぱ何にも食べないのは、身体に悪いと思って、それで…その」