俺と惺の住んでるマンションは、学校まで歩いて十五分って位置にある。
十四階建ての最上階。
部屋は2LDKだけど、造りがいちいち凝ってたりでっかかったりして、きっと高いマンションなんだろうなって思うよ。俺が惺に会うまで住んでたのは、六畳一間にかろうじてユニットバスがついてるような古いアパートだったから、たまにマンションを見上げると俺の生活変わったなあって、しみじみしてしまう。もうここに住んで十年なのにね。
オーダーストップだって言われて店を出た俺は、泊まりに来てもいいよって言うナツアキの言葉を断って帰ってきた。
惺はまだ仕事をしてるだろうから、帰ると一人になっちゃうけど。でも一瞬でもいいから、今日のうちに惺の顔を見たかったんだ。無理ならせめて、声だけでもいいって思って。……だって少しでも、惺を感じたいって思ったから。
ひとの気持ちって、不思議だよね。
一人で悩んでぐるぐる考えてたときは、惺の顔を見ることすら辛い時もあったのに。ナツアキが俺のことを肯定してくれたからって、それだけで気持ちが楽になった。
何もまだ答えなんか出せないけど。
好きだって、思ってるだけならいいのかなって。思うんだ。
玄関を開けると、廊下の電気がついたままになってる。
使わない部屋の電気はすぐに消してしまう惺なんだけど、自分がリビングで俺の帰りを待っていられないときは、いつもこうして廊下と言わず、リビングもダイニングも、見える範囲には明かりをつけてくれておいてくれる。
……全部、俺のため。
いつまでも子供っぽくて、ほんと自分でも、嫌になるんだけど。俺やっぱり暗闇とか一人とかが、いまだに怖いんだ。
おかしいよね。惺の身長も、中等部の時にはナツアキの身長も追い越して、今では俺が、一番でっかいのに。
なんかさ、どこにいても、暗いところで一人にされると、自分がまだあの古いアパートで膝抱えてるような、そんな気ってくるんだ。十八歳になってもだよ。情けなくって仕方ない。
今でも月に一回は会いに行く、俺が保護されたときから面倒見てくれてるカウンセリングの先生は「そのままでいいんだよ」って言ってくれるけど。
いつまでこのままなんだろう?って思うと、ちょっと暗くなってしまう。
廊下を通るとき、一応惺の部屋のドアをノックして「惺、帰ったから」と声をかけた。
中からは「ああ、わかった」って返答があったけど、しばらく待っても出てきてくれる様子はない。
……まあ、仕方ないよね。仕事だもん。
一人できれいに片付いたリビングに入った俺は、ソファーに鞄を置こうとして、ぴたりと動きを止めた。そのままリビングの中にドアのある、自分の部屋を開けて鞄を置き、ちゃんと着替える。
惺はさ、根っこは優しいと思うんだけど、こういうことにもの凄く厳しいから。
散らかした服や鞄の言い訳に「後でやろうと思ってた」なんてことを言ったら、冷たい顔でどんなキツいこと言われるかわからない。小さい頃に散々やって、俺は絶対にその言い訳をしないことにしたんだ。
だって無表情で怒る惺は、ほんとに怖いんだよ。
常識とか社会通念とかに、惺はすごく厳しい。正しいこと間違ったこと、ビシバシ指摘する。
手を上げられたことはないけど、言葉で淡々と責められる方が、間違ってる自覚のあるときは、痛いよね。
音を小さくしてリビングのテレビをつけたけど、つまらなくてすぐに消してしまった。おかしいよね。静かな空間が怖いとか思ってるくせに。
でもこういう一方的で無機質な音は、静寂よりも嫌なんだ。
それから俺は、気になっていたキッチンへ入ってみた。
……やっぱり。
朝から使われた気配がない。
惺はどういうわけか、俺がいないとほとんど何も食べない。普段だって、お昼ご飯を食べてるようには思えないんだよ。
本人は「大丈夫」って言うし、俺も惺が体調を崩したり、痩せてしまっているところなんか見たことないから、それが惺には一番合ってるのかもしれないけど。でも朝からずっと仕事をしてるのに、何も食べないなんて。やっぱり身体に悪いよ。
小さな光の灯ってる炊飯器を開けてみたら、朝に惺が用意してくれたご飯の残りがあった。
ちらりと惺の部屋の方へ目をやって、もう一度炊飯器を覗きこんだ。
……料理なんて、ほとんどしたことないんだけど。もし俺が何か作ってあげたら、惺は少しでも喜んでくれるかな?
なんか、たとえば……おにぎりとかさ。あれって誰が作っても、それなりに出来るんじゃない?塩を混ぜて、握ればいいんだよね?……違うのかな。