才能があるのはわかるけど、惺はあんまり情熱的に翻訳の仕事をしているように見えないから。他に理由があるのかな?って思ったんだけど。
もしかしたら、他にやりたい仕事があったとか。でも惺はとくに表情を変えたりしなかった。
「語学なら人よりマシに出来るからだな」
あっさり返ってきた答え。俺はちょっとびっくりしてしまう。
人よりマシって、あんな難しそうな論文なんかを、何ヶ国語にも訳せるのに?
「マシってレベルじゃないよ惺…。ねえ、惺は何ヶ国語ぐらいわかるの?」
多言語翻訳家の肩書きに嘘偽りナシ。
惺はほんと、ありとあらゆる言語に精通してるんだ。仕事を依頼してくる出版社の人が驚くぐらいに。
「さあ、数えたことはないな。行ったことのある国なら、言葉ぐらい覚えるだろ」
「え…大学とかで勉強したんじゃなくて、その国へ行って覚えたの?」
驚きだ。惺の若さで、そんな方々の外国行って言葉を覚えただなんて。
唖然として俺が聞くと、惺は珍しく眉を寄せて「しまった」って顔をした。
なんか俺…余計なこと聞いたのかな。
「あの…」
「そんなことより、もうすぐ嶺華祭じゃないのか?」
「嶺華祭?」
「ああ。お前も何かやるんだろう?」
「…うん」
話をはぐらかされのはわかってたけど、俺は追及したりしない。だって惺が話をはぐらかすのは、本当に聞かれたくないことだけだって知ってるから。
「えっと…なんかナツが生徒会主催でカフェをやるとか言い出してて、そっちを手伝うみたい。クラスの方は免除だって」
ほんと、珍しいの。惺がこんなこと聞くなんて。
でも惺が俺の学校でのことを聞いてくれるなんて、めったにないから。
他の学校では文化祭にあたる、嶺華祭。
生徒会長のナツはじいサマが来るからって、二ヶ月以上も先なのに、今からもうテンション上げて動き出してる。
テーブルの手配とかカトラリーの手配とか。メニューの一部を聞いたんだけど、本物のカフェ以上なんだよ。もうほんと、どれだけ金をかける気なんだってくらいに。
俺の話を聞いた惺は、不審そうに眉を寄せて視線を上げた。
「…カフェを手伝う?…具体的には何を担当するんだ?」
「ホールの担当だって。ギャルソンの格好でウェイターやるみたい。前にバイトしてたから、ナツに出来るだろ?って言われたし」
「そうだろうな。ナツくんはお前を厨房に入れるほど、愚かではないだろう」
酷い言われよう……。
きっとあれだ、前に作ったおにぎりのことを思い出してるんだ、惺。でも惺の口元にちょっと笑みが浮かんでて、俺はそれだけでも嬉しくなってしまう。
「あのね、今年はじいサマが来てくれるんだって。それでナツがはりきってんの」
「泰成が?」
「うん」
「またあいつは…物好きな」
「じいサマ、面白いこと大好きだもんね」
「歳を考えて、ほどほどにすればいいものを」
苦い顔をした惺は、あいつも何を考えてるんだか、って。呟いてる。
俺はふと思いついて、惺を見つめた。
「あの…惺も来てくれる?」
躊躇ったけど、聞いてみた。
じいサマと一緒なら来てくれたりとか……ないのかな。惺は今まで一度も、学校行事に来てくれたこと、ないんだけど。
今日みたいな進路指導とか、気分が悪くなった俺を迎えに来てくれるのは別だよ。そういう、最低限のことには来てくれる。
でも基本的に惺は、人の多いとこ嫌いだし、学校ってものに興味がないみたいで。
代わりに初等部の頃から、他の学校行事なんかには時々、じいサマが来てくれてたんだ。
もちろんナツアキのついでだとは、思ってるよ。でもけっこう嬉しかったな。
参観日とか来てくれて、それをじいサマが惺に話してくれるの。「直人はよくやってる」って。その話を聞いても、惺は「それくらいは当然だろう」って冷たいけど。でも俺の学校での様子を、惺が聞いてくれるのが嬉しかった。
残念ながら、あまり興味がありそうには、見えなかったけど。
「お前には僕が、そんな暇そうに見えるのか?」
「ううん、見えない」
「わかりきったことを聞くな」
「うん…ごめんなさい」
ほら、やっぱり。
「…………そうだよね」
ぼそっと口から零れた言葉は、やけに未練がましい感じになってしまった。
そりゃ、来てくれるわけないって、わかってたけど。でもちょっとだけ、そうなればいいなって思ってたから。
惺はちらっと俺を見上げた。
「なんだ?」
「え?ううん、なんでもない」
「はっきりしない子だな。言いたいことがあるなら言えばいいだろう?」
足を止めて、俺の顔を見上げてくれる。どうしよう。言ってもいいのかな。
「あの…あのね」
「はっきりしなさい」