どうしよう……どうしたらいい?
惺が部屋から出てこないんだ。
真っ青になった惺は、一度も足を止めずに家へ帰ってきて、そのまま自分の部屋に閉じこもってしまった。驚いて声をかけたけど、中から鋭い声で「うるさいっ!」って怒鳴られて。
うろうろと惺の部屋の前をさまよいながら、それでも俺は惺のコートをハンガーにかけ、自分も着替えて、鞄も部屋へ置いてきた。
……だって、こういうの身についちゃってるんだもん。
一時間ぐらいしてから、もう一度惺の部屋のドアを叩いて声をかけたけど、中からの反応はない。
鍵はついてないし、気になるなら開けてもいいんだけど。
そんなこと、一度もしたことないし、しちゃダメな気がする。だって俺、惺の許可もなしにこの部屋へ入ったことなんて、一度もないんだから。
俺はどうすることもできなくて、その場に座り込んだ。
惺の部屋の、ドアの横。膝を抱えたまま壁に背中をつけて、頭を寄せてみるけど。中からは何の音もしない。
「惺……」
一体、どうしたんだろう?
俺なにか、気に障るようなこと言ったのかな。
でも惺は今まで、俺が苛立たせてしまうようなことを言っても、はっきり叱ってくれたし。こんな風に、何の説明もなく閉じこもったのは初めてなんだ。
リビングの方を向いてベランダへの窓を見たら、外がどんどん暗くなってた。
晩ご飯、どうするんだろう?全然お腹なんか減ってないけど、でも惺はどんなに忙しいときでも、俺の食事に手を抜いたことがないから。
それがきっかけでもいいから、出てきてくれないかなって。ちょっと思う。
ずっと蹲って惺を待ってる俺は、自分の胸に手をあてて目を閉じた。
惺の部屋からは、何の音もしないまま。外はもう真っ暗で、ここからは時計が見えないから今が何時かもわからない。
鼓動が、早くなってる。
自分が少しずつ、息苦しさを感じてるのに気づいた。
うわ、どうしよう……すごい久しぶりだよ、この感覚。どんどん呼吸が浅くなっていくんだ。
落ち着けって自分に言い聞かせて、ゆっくり息をするよう、心掛けてみるけど。形にならない不安に圧迫されて、うまくいかない。
ここには一人じゃない、って。
壁の向こうに惺がいるって、何度も考えようとするんだけど。
指先が震えてきて、そっちの方が気になって、思考が混乱を始める。
身体が動かないように思うのは、錯覚だって。理性ではわかってるのに。
「っ…は、ぁ…せ、い」
絞り出す声が弱くて、情けない。こんなだから惺を怒らせるんだ。
違う、そうじゃないよ。
惺は俺を助けに来てくれた人。母さんと父さんには捨てられたけど、惺は俺を引き取ってくれた。
大丈夫、まだ信じられる。
「せい…せ、いっ…」
顔、見せて。
お願いだよ……
そんな俺の声が、聞こえたわけじゃないはずなんだけど。何の音もしなかった扉が唐突に、ゆっくりと開いた。
ドアノブを握ってる、惺の手。
それを見ただけで俺の身体は、急に息を吹き返した。
「あ…、っ惺…」
「入りなさい」
「え?」
顔を覗かせた惺は、やっぱり青ざめて見えるけど。俺に声をかけてそのまま、部屋の中へ引っ込んでしまった。
静かに立ち上がった俺は、何度か深い呼吸を繰り返す。……もう大丈夫。
部屋に入ったらきっと、なにか怒られるんだろうけど。その方がずっといい。ちゃんと考えて、惺に謝ろう。
そうっと部屋に入り、ドアを閉める。
そういえば惺の部屋に入ったの、久しぶりだ。
俺の部屋より少し広いだけなんだけど、物が少ないから倍くらいあるように見えてしまう。
入って右側の奥にベッドがあって、左側の奥には惺が仕事に使ってる、大きなパソコンデスク。
正面にどんと置いてある、存在感のある本棚には、難しそうな本がたくさん並んでる。それぞれにさまざまな言語でタイトルが書かれているから、背表紙を見ても何の本かわからないけど。
部屋にあるのは、それだけ。ほかにはチェストひとつない。ベッド側にウォークインクローゼットがあるけど、そんなに広いスペースじゃないはずだ。俺の部屋と同じものだし。
惺は仕事に使うデスクの前にいて、ゆったりイスに座ったまま足を組んでた。
少し下の方に向けられた惺の顔は、いつもと同じ無表情だけど、今はもう少し固いような気がする。青ざめて見えるから、そう思うのかな。
「あの…惺」
俺は惺の正面に立って、その姿を見つめた。どうしたんだろう。
なんか今の惺、いつも俺を叱るときみたいな、向き合うだけで身が竦んじゃうような迫力がないように思うんだけど……。
「お前に伝えておくことがある」
「え?」
言われて思わず、きょとんと首を傾げてしまった。