【君が待っているからB】 P:02


 俺が食事に手をつけなくても、何も言ってくれない。
 一度だけ、惺の出してくれたご飯を食べなかったんだ。
 どうしても喉を通らなくて、食べられなくて。そしたら惺、無言でそれ捨てちゃった。嫌な顔一つせずにね。
 今までは、熱出したときでも「何か食べなさい」って叱られたのに。何も言ってくれないの。
 食べないのかって聞かれて、ごめんなさいって答えたら、そうかって。全部ゴミ箱に突っ込んじゃったんだ。
 だから俺、それからは絶対に食べようって思って。苦しくても完食してる。食べても食べなくても、惺は黙ってるけど。

 部屋が暗くなってくる頃、俺が「惺」って呼ぶと、惺は必ず苦しそうな顔をする。
 手を取って抱きしめると、必ず震える。
 でも身を任せてくれるんだ。どうしてだろうね?もう、俺には何もわからない。
 わからないよ。
 惺は何を考えてるの?
 俺に出て行けと言った言葉は、宙に浮いたまま。だって何も言わないんだ。
 俺が何度好きだと囁いても、惺は答えをくれない。いつも黙って、顔を背けてる。だからといって、拒絶されることもない。
 おとなしく俺の腕に収まって、されるがままに抱かれて。
 意識を飛ばせば、急に甘えてくる。
 何が、どうなってるの?
 惺は最初から俺を、手放すつもりでいたって言ってた。こんなに長くそばにいるつもりじゃなかったって。
 最近、よく思い出すんだ。
 じいサマ、笠原泰成(カサハラタイセイ)の屋敷で目を覚ました時のこと。惺は俺を引き取りたがらなかった。じいサマに押し付けよとしてた。俺が泣いて縋りつかなかったら、惺はきっと俺を引き取らなかっただろう。
 でも、でもさ。
 それからの十年、惺は本当に俺を大切にしてくれたよ。そうじゃなかったら、俺はこんなに惺を好きだと思わなかったはず。
 熱を出したときは、一晩中そばにいてくれた。
 学校で怪我をしたときも、すぐに病院へ駆けつけてくれた。
 手を繋いで、歩いてくれたんだ。
 一人を怖がる俺のために、子供の頃はどこへ行くのも一緒に連れてってくれた。
 あれが全部、嘘だったなんて思えない。
 泣いてる俺のそばに、膝を折って。両手を握る惺は「どうした」って聞いてくれる。全部話したって、慰めの言葉一つ聞かせてくれなかったけど。でも怖い夢を見たなんていう、幼い俺の下らない理由を、笑ったりしなかった。
 ただ黙って、抱きしめてくれて。
 とんとん、って、静かに背中を叩いていてくれる。
 俺は惺がいなかったら、生きていけなかった。
 俺の全部は、惺が造ってくれたんだ。
 
 
 
 
 
 乗ってきた自転車から降りた俺は、目の前の屋敷を見上げて、ちょっとため息をついてしまう。
 いつ来てもでっかいこの家は、笠原のお屋敷。じいサマが住んでるところ。
 惺には何も言わずに来ちゃった……。

 もう俺、限界なんだ。
 自分で考えられることは、全部考えたよ。でもわからないことが多すぎて、答えなんか出せるはずがない。
 惺は相変わらず何も言ってくれないし。こんなこと、誰に話せる?
 無理矢理に惺を抱いて、そのとき垣間見た弱さに付け入って。身体の関係を続けるよう、強要した。
 まさかじいサマに、そんな話をしようとは思ってないよ。でもどうしても知りたいんだ。なんで惺は、唐突に俺を突き放したの?最初から決めてたって、なに?
 だって十年前の冬の日、俺を迎えに来てくれたのは惺だ。
 助けに来てくれた惺を信じちゃいけなかったなんて、そんなのないよ。
 ただあの時のことを思い出してて、ふと俺は、なんでじいサマだったんだろうって思ったんだ。どうして惺は、じいサマの屋敷に俺を連れてったのかなって。
 じいサマが金持ちだから?だから俺のこと何とかしてくれると思ったのかな。
 でもじいサマの孫である千夏(チナツ)と千秋(チアキ)は、俺と知り合うまで惺のコトを知らなかったって言ってた。
 偏屈なじいサマと若い惺が仲いいのを見て、びっくりしたって。

―――てっきりオレは、お前を通して惺さんと知り合ったんだと思ってたのに。あの二人って、もう随分前から知り合いみたいじゃん。お前こそ、なんか知らないの?

 ナツには反対に、そう聞かれたくらい。
 誰も知らなかったじいサマと惺の繋がりは、惺が俺を連れて行ったのがきっかけで周知のことになったんだ。
 みんなに知られたからって、二人は何も説明しないけど。……俺も聞いちゃいけない気がして、一度も聞いたことがない。
 惺とじいサマは、親子以上に年が離れてる。だってナツアキのお母さん、じいサマの末娘だけど、惺より年上なんだ。
 それでも二人は、年齢も何もかも超越した感じで、ほんと仲良くて。惺が唯一表情を和らげて話す相手が、じいサマ。